「おばあちゃんの原宿」で知られる巣鴨地蔵通り商店街は、江戸時代に多くの旅人が往来する、旧中山道沿いの「立場(たてば、休憩所)」のひとつとして栄えました。
今も当地に残る約1800メートルの旧中山道には、やはりかつて「立場」として栄えた庚申塚商栄会があり、巣鴨地蔵通り商店街とつながっています。この旧中山道にはまた、仏教系の大正大学も立地しています。
これらの商店街と大学が近年、「地域創生」を合言葉にさまざまなコラボ企画を行い、活性化のための連携活動を実施していると聞き、訪問してみました。
旧中山道沿いの商店街を通って盆踊り会場へ
今年7月8日(金)、仏教系大学として知られる大正大学(東京都豊島区西巣鴨)のキャンパスで開催された「第6回鴨台盆踊り」(鴨台=おうだい、盆踊りは8日・9日の2日間)を訪ねました
戦後に大正大学を会場として開催され、1970年代に廃止していた鴨台盆踊りは、2011(平成23)年3月11日の東日本大震災を機に再び開催されるようになり、地域の恒例行事として年々定着。例えば昨年の第5回目はあいにくの雨でしたが、それでも学生・大学関係者・地域の人々約2000人が集まり、大いに賑わったそうです。
一転して今年は快晴の真夏日となりました。盆踊り開始時刻(18時)の1時間半ほど前にJR巣鴨駅を下車。JR巣鴨駅前の白山通りから旧中山道入口に至る道に軒をつらねる《巣鴨駅前商店街》をへて、大正大学が最奥に立地する旧中山道沿いの2商店街を、順繰りに歩いていきます。
旧中山道沿いの2商店街の1つ目は、開眼300年を迎えたばかりの「江戸六地蔵」(真性寺)や、霊験あらたかとお年寄りに大人気の「とげぬき地蔵尊」(高岩寺)がおわす《巣鴨地蔵通り商店街》です。2つ目は地蔵通りをそのまま進んで、都電荒川線・庚申塚駅脇の巣鴨庚申塚(猿田彦神社)付近からはじまる《庚申塚商栄会》です。
計約1800mにおよぶ旧中山道沿いに続く2つの商店街は、江戸時代においては旅人たちのための「仏教的癒し空間」も兼ねた基幹街道沿いの集落だったという共通項があります。
点在する古い寺院のそばには、江戸時代に中山道を旅する人たちのための立場(たてば、休憩所)が設けられていました。また庚申塚商栄会の中ほどにある延命地蔵には、旅の途次に行き倒れになった旅人や馬のための供養塔だったという秘話も伝えられています。
ソメイヨシノの発祥地・駒込から程近いこの地域は、江戸時代から明治・大正・昭和前半期にかけて「タネ屋街道」とも呼ばれていました。旧中山道には旅人とともに、信州などから野菜の種を売買する行商人なども頻繁に往来していたのです。
地域の人々はそうした人々向けに、江戸野菜として人気の各種野菜(滝野川ゴボウ・駒込ナスなど)の種を、江戸土産・東京土産として売り出すようになり、明治中期には数多くの種屋さんが旧中山道に並んだといいます。
庚申塚商店街には今も「東京種苗」の看板を掲げた、文化財級の古い建物が残っています。これは当時最も成功した種屋のひとつ「榎本商店」の店舗跡です(東京種苗は今も庚申塚商店街に健在)。
大正大学はこうした多様な歴史に彩られた旧中山道沿いの、庚申塚商栄会が明治通りに交差する手前の角地に、大正15年に設置され、現在に至っています。仏教系の大学が立地するには、実にふさわしい土地柄といえるでしょう。
巣鴨駅前通り商店街から巣鴨地蔵通り商店街の賑わいを過ぎ、やがて道が都電荒川線・庚申塚駅の踏切手前に差し掛かる頃合いになると、色とりどりの浴衣や揃いのハッピを着た人たちの姿が、参詣や買い物の人々に交じりはじめているのに気づきました。
電車が通るたびにチンチンと信号機が鳴り、小さな遮断機が上がり下がりする踏切を渡れば、昔懐かしい下町ふうの店構えが続く庚申塚商栄会に入ります。すると大正大学のキャンパス、すなわち鴨台盆踊りの会場を目指しているに違いない浴衣・ハッピ姿の人々が、より一層に目立ってきました。
炎天下にも涼しげな和の装い、ザラッザラッという草履や雪駄のアスファルトをリズミカルにこする音などが、夏祭りの宵の口特有の、浮き立つような雰囲気をいやがうえにもかき立てます。
学生主催の盆踊りに地域の老若男女が大集合!
例えば巣鴨地蔵通りの高岩寺で、毎年7月下旬に5日連続で開催される「納涼盆踊り」のように、盆踊りといえば地元商店街や商工会議所など、地域経済の担い手が主催・後援する形が一般的です。鴨台盆踊りはその点、大正大学の学生たちがすべてを手作りで企画・運営する、全国的にも珍しい形態の盆踊りです。
「鴨台盆踊りはサービスラーニングという、地域をフィールドにして地域の課題を学び、地域の人々と共に解決を目指す授業科目の一環として行われています。学生同士の話し合いからはじまり、大学職員との折衝や商店街・地域の人々との打ち合わせなどをへて、盆踊りに必要なあらゆる備品や道具などの手配、製作、対外的な広報活動や盆踊りの司会・進行、後片付けに至るまで、自分たちの知恵と労力とですべてを切り盛りしていくのです」
事前にインタビューさせていただいた大正大学の大塚伸夫学長はそのように語り、「僧侶の養成機関としての役割も担う仏教系の大学として、大正大学は今後、従来にも増して社会貢献、地域貢献を当然のことのように実践していける人材の育成に、多角的に取り組んでいきたい」と、抱負を披歴してくださいました。
浴衣やハッピ姿の人々に導かれ、たどり着いた大正大学のキャンパス前は、早くも熱気に包まれていました。さまざまな屋台の準備などと並行して、平成25年5月に完成したすがも鴨台観音堂(通称・鴨台さざえ堂。往路と復路が交差しない二重螺旋構造の階段が特徴的な5層の観音堂)の前には祭壇が組まれ、東日本大震災や熊本地震などの犠牲者の追悼と一日も早い復興への祈願、地域の平和や繁栄などを願う法要の準備がはじまっていました。
それにしても旧中山道側に開けた大正大学の開放感は「素晴らしい」の一語です。セキュリティ重視で高い門や塀に囲まれがちな大学が多いなか、遮るものがないままキャンパスに入っていけるのです。
明治通り側の正門はそれなりに厳重なのに対し、旧中山道側が開放的なのは、地元商店街がある側の地域との触れ合いを大切に考える、大学側の深い思いの表れなのではないでしょうか。
キャンパスの中心部へ進んでいくと、いつもは広々と感じられるキャンパス内にも人波があふれています。人波の主役は学生たちと地域の人々です。中でも多いのは、小さな子どもを連れた、若い子育て世代のお父さんやお母さんたちでした。
少子高齢化の定石通りに高齢者も多いのですが、学生や子育て世代がそれを圧倒する勢いで多いのです。これまでに全国各地で、多様な盆踊りを見たり体験したりしてきました。でも近年、こんなに若者の多い盆踊りは見たことがありません! そのうえ晴れやかな浴衣を着た子どもたちや女子学生たちの姿が目立って多いことには、とても驚かされました。
運営する学生たちの企画で、今年の鴨台盆踊りでは熊本地震の被災地支援の一環として、「浴衣基金」という名称の義援金積立企画が行われると聞いていました。浴衣姿の入場者1人につき50円を積み立て、その合計額を被災地に寄付するという試みです。
この企画の事前告知が浸透していたのでしょうか。いずれにせよこれだけの浴衣濃度の高さがあれば、「浴衣基金」は初回からかなりの成功を収めたに違いありません。
そうこうするうちに、すがも鴨台観音堂前では厳かな雰囲気のなか、僧籍をもつ教師や学生たちによる法要が粛々とはじまっていました。
日も少しずつ暮れてきました。キャンパス中央の盆踊りの櫓周辺には、揃いの浴衣を着た踊りの指導役「つぼみの会」(巣鴨地域の踊りサークル)の人々、揃いのハッピを着た太鼓担当の「鼓友」(巣鴨地域の太鼓サークル)のみなさんが集まり始めています。
「第6回鴨台盆踊り」の開始時刻(18時)が、刻一刻と近づいていました。