愛知県の住宅街に、カラフルで懐かしい看板がひときわ一目を引く家があります。ここはホーロー看板コレクターの佐溝力さんのご自宅であり、無料で一般公開されている『琺瑯看板研究所』です。
屋外だけではなく、室内の廊下や天井などにも所狭しと飾られたホーロー看板の数はなんと5千点以上にものぼります。大正や昭和時代には町のあちこちに飾られていたホーロー看板の世界を覗いてみましょう!
壁も天井もところ狭しとホーロー看板
愛知県豊川駅からクルマで10分ほどの住宅街に、突然、ホーロー看板だらけの家が現れます。
外壁には、脚線美で微笑む由美かおるの「アース渦巻」、和服姿の水原弘の「ハイアース」、「たこの吸い出し」「管公学生服」など、年配者には懐かしいホーロー看板がところ狭しと飾られています。
自宅内には、さらに圧巻な展示が!母屋玄関から二階の展示室にかけて、また、廊下も階段も、壁という壁、天井という天井、ありとあらゆるところがホーロー看板で埋め尽くされています。
この看板だらけの家の持ち主・佐溝力(さみぞ・ちから)さん(70歳)は、知る人ぞ知る「ホーロー看板」コレクター。2008年から「看板と広告の資料館 琺瑯看板研究所 サミゾチカラ コレクション」の看板を掲げ、無料で一般公開しています。
佐溝さんは「ホーロー看板で世相の変遷がわかるんですよ」と、ご自身の自著『日本ホーロー看板大図鑑』(国書刊行会)のページを繰りながら、説明してくれました。
例えば、「一粒三百メートル」のグリコの看板。両手を上げてゴールインする選手は、最も古い大正時代の看板では八頭身。外国人の体型だ。それが、昭和初期くらいから、胴長短足の日本人体型になってくる。
「大正デモクラシーの時代は、アールヌーボーやアールデコの西洋文化が入ってきた頃ですから、やはり外国に対するあこがれがあるんですね。だからホーロー看板の広告にも、外国への憧れが表われています。それが昭和に入ると、だんだん戦争へと突入する時代を反映して、民族意識が強くなり、選手も日本人っぽくなっていくわけです」。
佐溝さんのコレクションはホーロー看板だけではありません。富山の薬売りのおまけに付いていた版画や、明治時代のすごろく、チラシ、ポスターなど、古い広告資料も含めれば、約2万点。ホーロー看板だけで3千種類、5千点以上なるとか。
トラックで全国を回り、ホーロー看板に魅かれる
佐溝さんは子どもの頃から収集癖があったと言います。タバコの空き箱を拾い集めるようになり、その後、切手、コイン、植物、昆虫などにも発展。
大人になると、長距離トラックの運転手として働くようになりました。その仕事をするうちに、ホーロー看板と出会ったのです。取り壊される古い家と共に捨てられるホーロー看板、それを譲り受けたのがきっかけです。
倉庫会社勤めに転身後も、週末を利用してホーロー看板探しを始めました。古い商店街の店を一軒一軒訪ね歩き、欲しいものがあると頼んで譲ってもらったり、買ったり。懇意にしている骨董屋に出物があったら取っておいてもらえるように頼んだり。コレクションが増えるにつれて、展示会や展覧会も開催するようになりました。
そして、50代半ばには転機が訪れます。勤め先で多忙な部署に配属されたのです。そうなると、ホーロー収集の趣味も難しくなってきます。悩んだ末に、会社を辞めてコレクターに専念することにしました。
ログハウス風の自宅の壁はホーロー看板を貼るのにおあつらえ向き。コレクションが収蔵しきれなくなった頃には、ちょうど引っ越しで売りに出た隣家を買い取り、倉庫にしたほど。
しかし、将来のために貯めていた資金があるとはいえ、この先どうなることかと不安もいっぱいだったといいます。ところが、辞めてほどなく、大きな展覧会の仕事と図録をつくる機会が舞い込みます。まさに、ホーロー看板コレクションに導かれているような人生といえるかもしれません。
この展覧会がきっかけとなって、ホーロー看板ふうに創作看板をつくるアーティストとのコラボレーションや、屋外でのモダンアート展に参加するなど、活動の場も広がっていきました。好きなことを徹底してやれば、人生の道も開けるということでしょう。
佐溝さんは「ホーロー看板などの広告資料は世相を映し、歴史を語り、文化を表現する貴重な産業遺産のひとつです」と力説します。だから、最終的には、きちんと体系づけて保管・研究・公開してくれる施設に寄付したいと考えているとのことでした。
- image by:松本すみ子(研究所の配置図のみ許可の上、ホームページより転載)
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