「八幡」の名前がつく神社は日本全国に7817社もあると言われていますが、古来からの八幡信仰の中心にあったのは京都の「石清水八幡宮」です。平成28年2月には国宝に指定されました。今回の無料メルマガ「おもしろい京都案内」では、その歴史や社殿の特徴について詳しく紹介しています。1400年以上も信仰され続けるだけあり、登場する歴史上の人物達との豪華さに驚かされます。
石清水八幡宮
今回は、朱色の楼門と極彩色の彫刻が施された荘厳な社殿を持つ男山の山頂に鎮座する石清水八幡宮の魅力に迫ります。
八幡様は遠く豊前の国から都に移り、王城を鎮護すると共に国を護ってきました。元々八幡様が祀られていた神社は大分県の宇佐八幡です。その信仰は調停や貴族から武家そして庶民へと広がって様々な願い事をする人達を懐深く受け入れてきました。その象徴ともいえる社殿が今回国宝となるのです。
859年、豊前国の宇佐神宮(現大分県)に籠もった行教が、国家鎮護のため京都の男山の地に勧請したのが始まりです。石清水八幡宮は、京都盆地南西、木津川・宇治川・桂川の合流点近くの男山の山上に鎮座しています。
京都の裏鬼門を守護する神社として古くから朝廷・公家・武家の尊崇を集めてきました。そのため、武神、弓矢の神、必勝の神として崇められました。
中でも源氏は氏神として信仰し、特に源義家は石清水八幡宮で元服し「八幡太郎義家」を名乗りました。また、この頃から源頼義・源頼朝によって勧請された鎌倉の鶴岡八幡宮をはじめ、各地に八幡宮が勧請されるようになりました。鎌倉の鶴岡八幡宮は源頼朝が鎌倉幕府を設立した時に、石清水八幡宮を勧請した神社だったのです。
京都から電車で30分、京阪本線八幡市駅を降りると目の前にケーブルカー乗り場があります。標高145mの小高い山を徒歩で登れば30分、ケーブルに乗ると3分で山頂に到達します。表参道の入口である一の鳥居には、「八幡宮」と書かれた扁額(へんがく)が掲げられています。
八幡宮の「八」の字は八幡さんの神の使いである鳩の形をしています。鳥居をくぐり少し歩いた中腹には石清水社があります。
ここに湧き出る水が石清水八幡宮の名前の由来になっています。本社で祭典が行われる時は、ここで汲んだ水が社殿に奉納されます。
山頂にたどり着くと三の鳥居に出迎えられます。この鳥居を超えると石燈籠が並ぶ厳かな参道が続き、正面に朱色の社殿が立ち並びます。朱色の厳かな社殿を正面に見ながら、両脇にずらりと並ぶ石灯籠の参道を歩いたときに気分は勇壮な武将になった気分がします。本社への入口となる南総門から境内を覗くと本社がそびえ立っています。まさに、「男山ここにあり」といった感じです。(かつては男山八幡宮と呼ばれていました。)
この南総門は本社に対して斜めに位置しています。参拝者がお参りし終えて帰るときに八幡様に背中を向けるのを遠慮するための配慮だと言われています。