台湾で「神様」になった日本人・小林三武郎氏の数奇な運命

さらに、台湾人がかつての日本人を神格化するようになった背景には、戦後、台湾にやってきた蒋介石率いる国民党の存在もあります。

国民党は、台湾人を虫けら同然に扱い、1947年の228事件(国民党による台湾人弾圧事件)以降、多くの台湾人知識人を虐殺しました。また、小林巡査が職務違反をしてまでも守ろうとした台湾の村人たちに対して、少しの森林伐採をも許さず、違反すれば罰を与えました。

国民党の台湾統治がひどければひどいほど、日本時代はよかった、日本人の優しさが懐かしいと、美談がさらに美化されることになったのです。

こうした日本人の美談は、台湾だけでなく、日本が統治したことがあるすべての地域で散見できます。つまり、中国や韓国でも日本人は同じようなことをしてきたわけです。

中国では、蝗害を撲滅したある部隊長が農村で神として崇められ、軍服にメガネ姿の門神(守護神)として祀られた例もありました。そのほか、警官や軍人だけでなく、技師、医師、教師など多くの職業の日本人が同様の活躍をしただろうことは推測できますが、残念ながら歴史に埋もれてその記録を全て探すことはできません(台湾では、教育に命をかけ匪賊の犠牲になった「六士先生」も有名です)。

私は、こうした戦前、戦中の日本人には心から敬意を評します。しかし、戦後の日本人は変わりました。

つい最近まで、あるいは現在もそうかもしれませんが、意識調査を行えば、日本の若者の多くが「戦前、戦中の日本人の品格や美徳について知りたくない、または格好悪いと思っている」というアンケート結果が出ていました。それは、戦後の反日教育の影響が大きいとしか思えません。戦後の日本人は、日本人の美徳は知りたくない一方で、「反日」の話題には飛びつく傾向がありました。反日こそが知識人への第一歩といった勘違いをしてきたことがわかります。

先月、私は高雄市からの要請を受けて、高雄市岡山区での空襲についての講演をしてきました。大戦中、米軍の戦闘機が台湾に落とした爆弾のうちの40%は岡山区に落ちました。ただ、その時はすでに防空システムが完備していたため、犠牲者はそれほど出ずに済みました。私の家族も友人も、爆撃で亡くなることはありませんでした。

しかし、爆撃では助かった人々が、戦後、台湾に進駐してきた国民党軍によって苦難の道を歩むことになるのです。前述したように、台湾人のエリート層は、見せしめのために逮捕、投獄、拷問、虐殺、銃殺などの運命が待っていたのです。そのかわり愚民のみを生き残らせるという、中国の伝統的な政策を行いました。

それまで台湾に住んでいた民間日本人40万人が引き揚げた代わりに、その倍以上の中国人が移住してきたのです。そしてそのまま、彼らが台湾に移り住んで70年以上が経ちました。そのため、台湾社会は生態学的な部分から変わらざるを得なかったのです。

こうした激動の時代を生き抜いてきた台湾人は、日本人と中国人の違いを日常生活の中で観察し続けてきました。民族の心性とは、ここまで違うものかということを肌で感じてきたのです。戦後教育を受けた日本の若者たちも、日本の先人の偉業を知り、敬うことができれば、日本は必ず変わることでしょう。

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