今でこそ日本はベンチャーブームで世間には若い起業家があふれていますが、30年前、岩手県遠野市でひとりの男性が農業ベンチャーを起業していたことをご存じでしょうか。
今回の無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』では著者の嶌さんが、昨年秋にニューヨークに出店した「多田自然農場」の誕生と苦難の道のりを紹介しています。
30年前に東北から立ち上がった農業ベンチャー ─いまや世界にはばたく多田自然農場─
岩手県遠野市で有限会社多田自然農場を経営する多田克彦氏からうれしい年賀状が届いた。
「アメリカ市場へ輸出がはじまりました。2017年秋、多田克彦乳製品 カリフォルニア州シリコンバレーで大人気。2018年初夏 ニューヨーク・マンハッタンに進出。グランドセントラル・レキシントン街41ストリートで多田克彦のソフトクリームに出会いましょう」と書かれた文章。
その下に、サンノゼ市のフェアで「TADA NATURAL FARM」と書かれた横断幕の下で乳製品を販売している店員たちの姿と、NYでソフトクリームなどを販売するKATAGIRI店のカラー写真が大きく写されていた。
いま日本では、世界を相手にスタートアップする企業が増え、中小企業も海外に進出したり、ネットで販売する企業が目立ってきた。ただ、市場は主に中国や東南アジアが中心で、農業大国アメリカのニューヨークに進出したところに多田克彦氏らしい情熱が感じられる。
私が多田氏を知ったのは、もう20年以上前になる。農業で元気な経営をみせ内に閉じ篭もる日本農業にカツを入れたいと遠野で乳製品を作り始めたのだ。
サラリーマンを辞め、遠野で農業を始める
多田氏は地元の農業高校を卒業し、いったんは遠野市役所に就職が決まる。しかし就職した初日に市役所で過ごし、覇気の無いよどんだ空気を重く感じ、「ここにいたら自分も沈んでダメになる」と思い、一日で退職してしまう。
そして家から20万円を持ち出して上京。アルバイトなどをしながら一浪して明治大学に合格する。
明大卒業時には東京の一流企業への就職も決まっていたが、やはり出奔(しゅっぽん)してきた故郷の遠野が気になり、東京への就職をやめて遠野市役所の試験を受けUターンする。その時、「市役所に勤めるのは10年。その間に農業を本格的に勉強し、新しい時代の農業で食べていこう」と決心した。
実際、多田氏は10年間の市役所人生でも大半を農業に打ち込んだ。荒れていた自分の家の農地を再生するため、毎朝5時に起き草を刈り、土地づくりに取組み、コメ・野菜づくりに挑戦する。
昼間は役所で働き、夕方5時になると直ちに役所から畑へ戻り、土・日・祝日、年休はすべて農業のために使い、ボーナスをもらう度に牛を買って肥育したのだ。