およそ1200年ものあいだ都だった京都は先進性に富んだ街でした。伝統を守るだけではなく、新しいものを取り入れる柔軟性も持っています。首都というのは常に新しいものを取り入れようとする機運に満ちているのです。
そんな経緯もあり、京都には「日本初」といわれるものが数多く存在します。今回は京都が生んだ「日本初」の一部をいくつかご紹介しましょう。
- 関連記事
- >>>他県には譲れん。地元が誇る、日本全国の意外な「発祥の地」
※本記事は新型コロナウイルス感染拡大時のお出かけを推奨するものではありません。新型コロナウィルスの海外渡航・入国情報および各施設の公式情報を必ずご確認ください。
これも日本初?京都が発祥の数々
1. 日本初の小学校
1869(明治2)年5月21日に日本初の近代小学校「上京第二十七番組小学校」(現:柳池《りゅうち》中学校)が誕生しました。
当時は「番組(ばんくみ)」と呼ばれる学区が設けられ、番組ごとに小学校が創設されたため、当時の小学校は「番組小学校」と呼ばれていました。
明治政府による学制発布は1872(明治5)年なので、それよりも3年早く京都には小学校があったということです。これは江戸時代が終わり東京遷都によって沈滞ムードを打破するための方策のひとつといわれています。
当時「上京第二十七番組小学校」は地元の人たちの寄付や献金によって建設が行われたと伝えられています。
教育にかける京都人の熱意はいまも受け継がれている気がします。京都を訪れる度に教育を重んじる雰囲気を随所に感じるのは私だけではないでしょう。
2. 日本初の画学校
学校は学校でも画学校の日本初も京都です。画学校とは、いわゆる美術の学校を意味します。
1880(明治13)年に日本初の公立画学校として、京都御苑の中に「京都府画学校」が設立されました。これが日本初の美術学校です。
いまは京都人の憩いの場にもなっている、あの広大な敷地の中に美術学校があったなんて想像できませんよね。この画学校から多くの優れた人材を輩出しその歴史と伝統は現在の京都市立芸術大学に受け継がれています。
京都は西陣織や友禅染などに見られるように美的センスにも優れていますよね。地位や名声だけでなく、いわゆる「目利き」がないと成功者と認めてもらえないようなところがあるようです。
ちなみに日本初の盲学校、日本初のコンピュータ学校も京都が発祥なんですよ。
3. 日本初の水力発電所
番組小学校以外にも東京遷都で停滞した京都を元気にしようと進められた事業があります。それが琵琶湖疏水事業です。
京都人はこの大事業によって、それ以降現在も琵琶湖の水にお世話になることになります。ただ、京都盆地の地下には琵琶湖と同じぐらいの水量が地下水として存在するともいわれています。
そのような天然の水がめがあるので豊富な水をつかった食べ物が有名ですよね。なので水に困っていたわけではないのです。
1891(明治24)年、京都の近代化を進めた琵琶湖疎水は日本初の水力発電所を作るためでした。当時の「蹴上(けあげ)水力発電所」です(現在:関西電力の管轄)。みなさんも知っているはず、南禅寺畔にある蹴上浄水場です。
水力発電事業は当時の京都の産業発展の原動力となり、それから100年以上経ったいまでも、京都市に電気を供給し続けています。
当時は「百年の計」として大事業を成し遂げたので、100年以上経ったいまも大活躍。まさに当初の目的が達成されていますよね。
Page: 1 2