始まりはここから。今となっては欠かせない京都が生んだ「日本初」
4. 日本初の路面電車
1895(明治28)年2月1日、日本初の路面電車が、東洞院塩小路から伏見油掛通りまで約6kmの区間で開通しました。これはまさに琵琶湖疏水事業によって豊富な電力供給が可能になったからこそできたことです。
それから80年以上経った1978(昭和53)年に全線が廃止されるまで、京都人に愛されて路面電車は京都市内の至るところに走っていました。その面影はいまでもはっきりと感じることができます。
現在、市内中心部の京都人の足は主にバスです。市内中心を走る電車は地下鉄南北線と東西線のみ。
観光客には多過ぎて覚えきれないくらいの路線バスは、かつて路面電車が所狭しと走っていた路線を引き継いでいるのです。路面電車からバスへ輸送手段は変わりましたが、いまも昔の京都人の足跡を至るところに感じますよね。
5. 日本初の映画上映会
初めて映写実験が行われた場所は木屋町四条にある立誠小学校です。こちらはリノベーションされてホテルなどが入る複合施設になりました。有名な卒業生に坂田藤十郎さん、中村玉緒さん、近藤正臣さんなどがいます。
1897年、映写実験は当時の立誠シネマで行われました。関西電力の前身である京都電燈が映写実験に携わっています。
ちなみに京都ではこの年、現在の京都大学である京都帝国大学が開校。フランスのリュミエール兄弟が発明した「シネマトグラフ(映写機の原型)」をフランス留学中だった実業家・稲畑勝太郎が日本に持ち帰り上映しました。
6. 日本初の駅伝大会
1917(大正6)年4月27日、日本初の駅伝競走が行われました。東軍と西軍の2チームが京都の三条大橋から東京の上野不忍池の間の514km、23区間を3日間、昼夜を問わず走り続けたそうです。記録は41時間44分だったとか。
東軍のアンカーは当時27歳だった、あの金栗四三(かなぐりしそう)選手。1912年のストックホルムオリンピックのマラソンに日本人として初めて参加した日本のマラソンの父といわれる人です。いまでも三条大橋付近には駅伝発祥の地を示す石碑が立てられていますよね。
そのほかも日本初のオーケストラ(円山公園野外音楽堂で演奏)、日本初の国立国際会議場(宝ヶ池の京都国際会館)、日本初のセーラー服を採用したとされる学校(平安女学院)などまだまだ探せば沢山あります。
- スポット詳細記事
- >>>セーラー制の制服の誕生は京都!?意外に知らない京都初の○○シリーズ第2弾
新しいもん好きの京都人だからこそ、日本初のものも多いようです。伝統を重んじる保守的なイメージとは裏腹に常に最先端のものを積極的に取り入れる姿勢こそが京都の魅力なのではないでしょうか?
京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でもみなさまにお伝えできればと思っています。
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