「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が新たに世界文化遺産として登録され、一気に注目が集まっている長崎ですが、長崎にはまだ他にも日本人なら心に留めておきたい重要な出来事がありました。それは、広島とともに、世界で唯一原子爆弾を投下された場所であるということ。
平和を意味する「平成」という時代のまさに最後のこの夏に、長崎生まれの今道剛さんが、長崎に戻ると必ず一度は立ち寄るという場所、今こそ見ておきたい「長崎原爆資料館」を訪問されました。
未だに長崎市民には身近な「原爆」という存在
長崎生まれの私として長崎を訪れる観光客に必ず足を運んで欲しい場所があります。
それは「原爆資料館」と「平和公園」です。ご存知と思いますが、日本の長崎と広島は世界で唯一原爆が投下され被害を受けた場所です。
8月6日の広島への原爆投下後に再び原爆投下の作戦があり、福岡県小倉市(現:北九州市)が第一目標、長崎県長崎市が第二目標となっていました。9日第一目標であった北九州市が視界不良であったために原子投下は第二目標の長崎へ。長崎の原爆投下は8月9日午前11時2分に松山町171番地の上空503メートルで炸裂したのです。
実は私、原爆被爆者二世です。父が爆心地から2.6キロの場所で被爆した被爆者一世であるため、父の血を引く私は二世となります。
長崎以外でこの話をすると重く受け止められる場合があるのですが、両親の何れかが長崎市生まれで子供が40代だったら意外と多い被爆者二世。この辺は長崎や広島以外の県で違う点かも知れません。
当時5歳だった父は被爆地から金比羅山という山を挟む場所に住んでいたのですが、原爆投下後に自宅を突然の突風が襲い、窓ガラスが割れ父の姉が畳に刺さったガラスの破片をホウキで掃除していたのを記憶しているそうです。もし金比羅山が無かったら・・・。
突風では済まされず今の私は間違いなく生まれていません。
また祖母が生前の頃に原爆投下時の話を聞いてみようと質問した事があるのですが、一言だけ
「思い出しとうなかとよ(思い出したくないのよ)」
と、戦死した祖父亡き後、女一人で子供7人を養った、当時の出来事については一つも話してくれませんでした。
長崎以外でも通学していると思っていた夏休みの「平和学習」
長崎の学生は夏休み期間中の8月9日は登校し「平和学習」を行います。私の学生時代は被爆者の談話を聞き当時の実情を動画で観て、11時2分になると長崎の街中に響き渡るサイレンとともに黙祷を行う。年に一回の「平和学習」を通じて平和の大切さ尊さを学習していました。今でも11時2分になると黙祷をする習慣が身についています。
この「平和学習」は長崎以外でも、全国各地で8月6日か9日、もしくは15日の日に、何かしらの「平和学習」が執り行われていると勝手に思い込んでいたのですが、長崎を離れて知ったのは、このような学習は非常に稀だという事でした。この辺の原爆や戦争に関する意識も長崎や広島(※)と他の県で違う点かも知れません。
※現在の広島では8月6日の登校日は学校側での判断となっています。