新型コロナウイルス感染症の影響で、自由に海外旅行ができないこのごろ。旅好きにとってはストレスな日々ですが、いろいろな形で旅を見直すいいチャンスともいえます。
そこで今回は、ある国に日本人が初めて訪れたときの様子を、歴史の記録から振り返ってお届け。そのある国とは、ずばり「エジプト」です。しかもエジプトのアイコンともいえる「ピラミッド」に、日本人が初めて訪れたときの旅を紹介します。
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1862年に日本人が初めてエジプトを訪れた
日本人から見て、地理的にとても遠い場所にあるエジプト。しかし社会の教科書では、必ず学ぶ国ですし、ピラミッドやスフィンクスは観光地としても世界中で知られている名所なので、日本人にとっても認知度の高い国ですよね。
日本の外務省によると、エジプトは日本の約2.7倍の面積を持ちます。一方のアラブ人を中心とした人口は日本よりも少なく、約9,872万人です。
言うまでもなく人類史でも突出して古い時期から文明を持っていた地域のひとつで、紀元前32世紀ごろには統一王朝が成立していたと知られています。
日本との関係でいえば、第二次世界大戦の開戦前にあたる1936(昭和11)年に首都のカイロに日本国が公使館を設置し、戦後の1954(昭和29)年には大使館に昇格させています。それ以来、両国は特に大きな問題もなく関係を築いてきました。
このエジプトに日本人が初めて訪れた時期は、いまから150年ちょっと前。初めてカイロに公使館が置かれた時期から見れば、70年ちょっと前の話です。
その様子は国立国会図書館に収蔵され、デジタル化もされてインターネット上で一般公開されている高島久也『欧西紀行 巻六』に詳しく書かれています。
著者の高島久也は、医師として第1回の遣欧使節団(文久遣欧使節)に加わっていた団員で、イラスト入りで、スエズからエジプトに入り、陸路でカイロを経由し、地中海に面したアレクサンドリアへと移動した際の旅の姿が記録されています。
記録が残っている限りにおいて、エジプトの土地に日本人が踏み入れた史上初の出来事です。しかし、この第1回遣欧使節団は、カイロに2泊しかしていません。
要するに、単なる中継地として「通過」しただけなので、カイロから目と鼻の先にあるピラミッドやスフィンクスにすら、訪れる時間的な余裕がありませんでした。
第1回遣欧使節団の旅のルートは、品川から長崎、香港、シンガポール、セイロン(スリランカ)、アラビア半島南端のイエメンを経て、エジプトのスエズに入っています。
スエズに運河が完成する時期は1869年なので、まだこの時期に、シナイ半島の西岸のスエズ湾をすり抜けるように船は地中海に出られません。
そのためスエズで陸路に入り、カイロを経由してからアレクサンドリアに出て、地中海で再び船に乗り込む必要がありました。いまの感覚でいえば、このときの日本人の一団はエジプトで「トランジット」をしただけで、エジプトを本当の意味で観光したとは言い切れないのですね。
その意味で、真のエジプト観光は、2年後に到着した第2回の遣欧使節団によって実現します。