しだれ桜が守るものとは。京都の世界遺産「天龍寺」の隠れた歴史

春を彩る美しき桜。全国にはたくさんの花見スポットがありますが、古都・京都の桜は見る人の心を掴んで離さない風情を感じられます。

そこで今回は、京都の世界遺産のひとつ「天龍寺」の歴史や桜についてご紹介していきます。境内に植えられた桜に秘められた歴史を知ると、天龍寺の桜を違った目で観ることができるでしょう。

彩を見せる「しだれ桜」が守るのは後醍醐天皇?

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天龍寺は、後嵯峨(ごさが)天皇の亀山離宮があった場所でした。1339年、足利尊氏が夢窓疎石(むそうそせき)のすすめにより、後醍醐天皇の冥福祈願のために建てられました。

天龍寺の「曹源池(そうげんち)庭園」は、西芳寺(苔寺)庭園とともに1339年、夢窓疎石の作庭によるものです。西芳寺と天龍寺の庭の作庭は、夢窓疎石の修行の集大成ともいえる傑作として、いまも多くの人を惹きつけています。

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曹源池を中心に周囲に石組を施し、背後の亀山の景観を借景として取り入れています。

中世の庭作りのテキスト『作庭記』には「池は亀もしくは鶴の姿に掘るべし」とあり、天龍寺の庭園にも、亀型の池に頭の部分を表現した「亀島」と呼ばれる中の島があります。

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池の正面には、禅のシンボルといわれる龍が三段の石組で龍門の滝を表現。2段目の石は「鯉魚石(りぎょせき)」と呼び、滝を登る鯉の姿を表したものです。

中国山西省にある龍門石窟に伝わる「鯉が滝を登ると龍になる」という故事を写したもので、「登竜門」という言葉の由来になり、出世を表すといわれています。

正面に立つ石は釈迦三尊石と呼ばれ、中央は釈迦如来、左右はそれぞれ普賢菩薩、文殊菩薩に見立てられています。


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亀山を借景としたことには大きな意味があります。天龍寺を夢窓疎石に命じて創建したのは足利尊氏です。彼は、後醍醐天皇を吉野に追放し光明天皇を擁立。これによりその後、56年間におよぶ南北朝時代となり内乱が続きました。

足利尊氏は後醍醐天皇を倒すまで殺戮を止めようとはしませんでした。夢窓疎石は、内乱の犠牲者の供養を説いてまわり戦をやめるよう尊氏を説得。そして1339年、後醍醐天皇は崩御し、亀山に埋葬されました。

疎石は、後醍醐天皇鎮魂の寺を建てるよう尊氏に直言し、同年に天龍寺が創建されたのです。後醍醐天皇の埋葬された亀山を借景とすることこそが、天龍寺庭園の作庭の目的だったようです。

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創建の際、後醍醐天皇の南朝があった奈良の吉野から多数の桜が移植されています。天龍寺の「多宝殿の廟」に後醍醐天皇の木像が安置され、この多宝殿の前庭に樹齢約300年ともいわれる枝垂れ桜が2本植えられています。

境内には、疎石が植えた約300本ものソメイヨシノや枝垂れ桜が、いまも後醍醐天皇の魂を慰め続けているのです。

天龍寺の桜は後醍醐天皇の鎮魂の桜だったことを知ると、また見方が変わるのではないでしょうか。敵対する足利尊氏と後醍醐天皇のかたわらで両者を立て、思いやる夢窓疎石の優しさが伝わってくる気がします。

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