日本人に大きな影響を与えた、浄土真宗の聖地・京都「青蓮院」

京都のお寺で、これほど美しい名前はないのではないかと思わせてくれるお寺「青蓮院(しょうれんいん)」。知恩院の山門の前の道を円山公園とは反対側、平安神宮の方向に向かって進み、歩いて3分くらいすると右側に見えてきます。

青蓮院は蓮院天台宗の「門跡(もんせき)寺院」で、三千院、妙法院とともに、天台宗の三門跡のひとつに数えられている、とても格式のあるお寺です。この門跡寺院というのは、皇族や貴族が代々住職を務めた格式高いお寺を意味します。

かつて江戸時代の1788年に、後桜町天皇の内裏が焼失したときに仮の御所になったので「粟田御所」とも呼ばれていました。

今回は京都にある寺院のなかでも格式の高い「青蓮院」の魅力と歴史について、ご紹介していきます。

※本記事は新型コロナウイルス感染拡大時のお出かけを推奨するものではありません。新型コロナウィルスの国内・各都道府県情報および各施設の公式情報を必ずご確認ください。

浄土真宗の聖地のひとつ「青蓮院」

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青蓮院の歴史は平安時代に遡ります。天台宗の祖・最澄が奈良時代に比叡山延暦寺を開いた際に、僧侶の宿坊として「青蓮坊」という寺院をこの地に建立。

そして平安時代の1150年、天台宗の第12代座主・行玄(ぎょうげん)が、このお寺の門主になったときに青蓮院となったのです。鎌倉時代初期には、愚管抄(ぐかんしょう)を著した慈円(じえん)が門主となりました。

また、伏見天皇の皇子である尊円(そんえん)法親王が入寺して大いに栄えたものの、応仁の乱で焼失しています。

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慈円は厳格な延暦寺を総本山に持つ天台宗のお寺の門主でしたが、ほかの宗教に対して寛大でした。その当時、延暦寺や朝廷に迫害を受けていた浄土宗の開祖・法然やその弟子の親鸞の味方をしたのです。

そして、法然に青蓮院の境内の一部を授けました。このとき慈円から分け与えられた土地に法然が建てたお寺が、お隣の「知恩院」です。


浄土真宗の開祖・親鸞は幼少の頃、慈円の元で出家しています。そのため青蓮院は天台宗でありながら、浄土真宗の聖地のひとつでもあるのです。

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青蓮院の正面には大きなクスノキが4〜5本くらい立っています。これは12世紀末に親鸞が植えたものと伝えられており、樹齢は約800年程とのこと。

現代の日本の仏教のなかで浄土宗と浄土真宗は二大宗派です。法難の時代を天台宗の慈円が他宗派に対して寛容でなかったら、その後の日本仏教はどうなっていたのでしょう?鎌倉時代以降の日本人の生き方や考え方に、大きく影響を与えたことだと思います。

青蓮院では慈円を思い出しながら、すぐ隣の親鸞を師と仰ぐ法然が開いた浄土宗総本山、知恩院を見学してみてくださいね。知恩院の境内を案内しているYouTube動画はこちらです。

青蓮院は1893年に大規模な火災に遭い、ほぼ全ての建物を消失しました。なので、このお寺の建物は、ほとんどが明治時代以降に再建されたものとなっています。

青蓮院には、通称「青不動」と呼ばれる国宝「青不動明王二童子像」があります。こちらは高野山明王院の「赤不動」、三井寺の「黄不動」とともに日本三不動のひとつです。

現在は、東山山頂に建立された「青龍殿(せいりゅうでん)」に祀られています。方丈や庭園などの詳しい説明はYouTube動画でもご案内しています。なかなか遠出しにくい状況が続きますが、動画で旅気分も楽しんでくださいね。

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