【京都歴史探訪】徳川家康/徳川家ゆかりの地を訪ねて

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2022/08/24

桃山文化の豪華絢爛な装飾は必見

御香宮神社/京都市伏見区

伏見の七名水の一つ、石井の御香水が湧き出る古社「御香宮神社」。こちらの表門は、1622(元和8)年に伏見城の大手門が移築されたものと伝えられています。

何気なく通り過ぎてしまいそうですが、4つある蟇股(門の上部にある装飾)には、中国二十四考の物語が彫られているので、立ち止まってじっくり見るのもおすすめ。

表門から参道、拝殿と進むと見えてくるのが本殿です。

実は、御香宮神社は豊臣秀吉が伏見城を築城した際に、鬼門除けの神として城内に移されています。その後1605(慶長10)年、家康が神社を元の地に戻した際に、本殿を造営しました。

本殿はなんといっても鮮やかな彫像が特徴的。極彩色で飾られた装飾にはさまざまな動物がいるので、ぜひ観察してみてくださいね。

また、社名の由来となった御香水は本殿前にあり、現在もきれいな水が湧き出ています。家康の歴史を辿るとともに、桃山文化の名残も味わってみてください。

■■INFORMATION■■

御香宮神社
住所:京都府京都市伏見区御香宮門前町174
電話:075-611-0559
時間:9:00~16:00
拝観料:境内自由(石庭見学200円)
定休日:不定休
公式ホームページ

徳川家康を祀る由緒ある東照宮

金地院/京都市左京区

南禅寺の塔頭「金地院」の中興の祖である以心崇伝(いしんすうでん)という僧は、家康公の側近として活躍し、幕府の法律や外交などを担い江戸時代の礎をつくったことから「黒衣の宰相」とも呼ばれていました。


家康公は臨終の際、久能山(静岡)、日光(栃木)、南禅寺金地院の3カ所に東照宮を建てるようにと遺言を残しています。その遺言を受け、崇伝は1628(寛永5)年に金地院の境内に東照宮を建立し、家康公の遺髪と念持仏を納めました。

金地院には、名庭師・小堀遠州が作った庭(写真・国の特別名勝に指定)や、京都三名席(※)の1つに数えられる「八窓席(はっそうのせき)」があるなど、見どころが多いお寺です。

また、境内には伏見城から移築された方丈があり、こちらには狩野探幽・尚信(なおのぶ)兄弟の襖絵があります。家康公と縁が深い寺院を、じっくり散策してみてください。

※京都三名席……八窓席のほか、大徳寺孤篷庵「忘筌」、曼殊院の茶室「八窓軒」がある

■■INFORMATION■■

金地院
住所:京都府京都市左京区南禅寺福地町86-12
電話:075-771-3511
時間:9:00~17:00(12~2月は~16:30)
拝観料:500円(八窓席と方丈700円)※要予約
定休日:なし

約200kmを3日で駆け抜けた!?命がけの帰国旅

伊賀越え/山城エリア

家康が1603年に江戸幕府を開く前は、織田信長と同盟を結び、三河国(現在の愛知県)や遠江国(現在の静岡県)に勢力をのばしていました。

そんな中で勃発したのが本能寺の変です。1582(天正10)年6月2日に本能寺で信長が討たれた知らせを受けた家康は、堺(大阪)から信長がいる京都へ向かう途中でした。

自らの命も狙われていると知った家康は、安全のために三河国へ戻ることを決意。その時のことが「家康の伊賀越え」と言われています。

堺から山城エリアを1日かけて人々の手を借りながら進み、本能寺の変から2日後の6月4日に無事、三河岡崎城にたどり着きました。

KYOTO SIDEでは、家康が通ったと思われる京田辺市のルートを参考に、ガイドさんと歩いてみました(家康が通ったとされるルートについては諸説あります)。 

こちらの記事もぜひチェックしてみてくださいね▼

伊賀越えの道をめぐる ~徳川家康が走り抜けた京田辺市~

  • source:KYOTO SIDE
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