なぜ海外で「チップ」が必要なのか?かつて日本にもあった心付け文化の世界史
1840年以前のアメリカにチップは存在しなかった
アメリカの歴史については、現地の代表的なメディアが繰り返し取り上げています。アメリカの一般大衆紙『USAトゥデイ』や『TIME』のオンライン版によれば、アメリカでチップの習慣が定着していった時期は、南北戦争のあとだといいます。
南北戦争とは、奴隷大農園制度に支えられた南部と、産業社会として発展を続ける北部が、奴隷制の拡大をめぐって争った内戦です。
1861年~1865年の4年間も内戦が続き、最終的には北軍が勝って合衆国の統一が維持され、憲法が修正されます。その結果、奴隷制が廃止され、市民権が与えられ、黒人にも参政権が与えられました。
しかし、この社会変革の過程で、当時アメリカで定着し始めていたチップ文化が、良からぬ形で定着を見せ始めたのです。
もともとチップの文化は、先ほど軽く触れたように、中世ヨーロッパでスタートしたと考えられています。ヨーロッパの貴族が、自分の農奴や召使に対して、働きに応じてちょっとしたお金を手渡していました。
言い換えれば、ヨーロッパの文化ですから、1840年以前にはアメリカに存在しない習慣でした。しかし、アメリカ人の富裕層が1850年代~1860年代にヨーロッパ旅行でこの習慣を発見します。
母国に戻ったあとも「ヨーロッパの貴族がやっていたから」と、自分たちも貴族っぽくふるまうために、自分の奴隷たちにチップを渡す習慣をスタートしたのだとか。
そんな背景を持つチップです。当然ながらアメリカでは、チップを廃止しようとする動きが繰り返し起きてきました。
例えば、1915年にはアメリカ南部を中心とするいくつかの州が、チップを禁じる法律を制定しています。しかし、その11年後の1926年、チップを禁じる法律は憲法違反であると裁定され、覆されました。
チップに対する疑問や反対の行動は、現在も続いています。カナダやアメリカでは現に、チップをやめようとする動きが後を絶ちません。
日本人として、北米に行くとチップの支払いに戸惑いますが、肝心な現地の人のなかにも、チップの支払いに疑問を感じている人が少なからず存在するのですね。
労働者の給料を顧客のチップでまかなおうとした
アメリカでは当時、この新しい習慣が好ましくないと不評を買いました。せっかく、ヨーロッパの旧支配層から自由になって建国したのに、ヨーロッパの古い階級社会を象徴するように、チップを渡す行為が見えたからです。
そのタイミングで、南北戦争が起こります。結果はご存じのとおり、北部が勝ち、奴隷制度が廃止されました。
しかし、奴隷制度が廃止されたとしても、学歴もない有色人種たちが働ける場所・職種も限られています。働ける場所の代表例といえば、飲食店の給仕や鉄道会社の力仕事などでした。
また、差別意識が大変高かった時代なので、もともと奴隷だった人たちを労働力として使う側の人たちも、給料を払う気がありませんでした。
そこで、一部の富裕層がヨーロッパから持ち込んだチップに着目し、労働者の対価を経営者からの給料ではなく、顧客からのチップでまかなおうとしたのです。
「母国」であるヨーロッパでは同じ時期に、チップの文化が衰退していったのですが、文化を輸入したアメリカで、皮肉にもチップが定着していきました。