神になりたかったんだ。秀吉・家康と意外な関係をもつ「北野天満宮」

八棟造(権現造)

北野天満宮は、人間を神として祀った初めての神社です。神社は本来神道の聖域であって、日本神話に登場する神々や天皇家一族の祖先をお祀りしている場所です。菅原道真のような数少ない例外を除いては、天皇家以外の人間が神社に祀られることはありません。

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北野天満宮の建築様式は、「八棟造(やつむねづくり)」と呼ばれるものです。横長の長方形の敷地に建つ本殿が奥に位置し、その手前に石の間があります。石の間は、一番手前に参拝者が参拝する建物・拝殿と、その奥にある本殿をつなぐだけの小さな建物です。

八棟造の屋根はその名が示す通り、四方八方にいくえにも破風が突き出しているのが特徴です。この特殊な神社の建築様式を「八棟造(やつむねづくり)」といいます。

のちの世に家康が、この神社建築様式を自らの廟所・日光東照宮に用いることを遺言で命じています。家康を大権現として祀る日光東照宮の建築様式にちなんで、これを「権現造」とも呼ぶようになりました。

神になろうとした2人(秀吉と家康)

菅原道真に関しては、その怨霊を鎮めるために、朝廷が彼の死後に高い地位を与えたあとから、神として祀った人物です。これに対して秀吉と家康は、自ら望んで神になろうとした人物です。

「豊国廟」 image by:beibaoke / Shutterstock.com

秀吉は自らが神となり、豊臣家が神の末裔になることを望んだといいます。秀吉の墓所「豊国廟」(現在は阿弥陀が峰山頂)が造られた当時に描かれた狩野永徳作の「洛中洛外図屏風」にその証拠を見ることができます。

秀吉を祀る豊国廟の建物は、北野天満宮を模して造られているのです。拝殿と本殿を石の間でつないだ神社様式の建物であったことが確認できます。

「三光門」image by:Anotai Y / Shutterstock.com

通常神社は鳥居を入口としますが、北野天満宮は神社なのに寺院のような「楼門」と「三光門」も建っています。これは、菅原道真の怨霊を鎮魂するために、人間を神として祀ったためです。

人間を供養する寺院とも、神を祀る神社ともとれる特異な形式となっているのです。神様や天皇家一族とその祖先への配慮だったのかもしれません。


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家康を神として祀った日光東照宮の本社もまた権現造で、北野天満宮の建築様式を踏襲しています。このように権現造は、死者を神として祀る建築様式としてのちの世に定着したのです。それを実現して今も尚現存しているのは死後、関東を照らす神「東照大権現」として祀られた家康の廟所「日光東照宮」ただひとつです。

北野天満宮は、道真公の怨霊を鎮めるため、朝廷が道真公を天神様と祀って建てられたものです。日光東照宮は家康が死後、神として徳川家と国家の繁栄を見守りたいと、自ら望んで建てさせたものです。

道真公が、戦国の天下人・秀吉や家康にこれほどまで影響を及ぼしていたことは意外と知られていないでしょう。北野天満宮と日光東照宮、道真公と秀吉や家康公、意外な共通点で結ばれました。そんなことを思い出しながら神社の建築様式を見るとおもしろいのではないでしょうか。

北野天満宮には、ほかにもまだまだ興味深い話がたくさんあります。しかし、これ以上深く掘り下げると、かなり専門的なものになってしまいます。歴史が長いだけに語り継がれてきたたくさんの物語もあります。錦秋の魅力に導かれながら、由緒ある古社をゆっくりと散策してみて下さい。

紅葉まではまだ少し時間があるので、ぜひ今年計画してみてはいかがでしょうか?

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