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神になりたかったんだ。秀吉・家康と意外な関係をもつ「北野天満宮」

京都屈指の観光スポット「北野天満宮」。前回は、概要や創建にいたる歴史的背景、梅にまつわる伝説や天神様と牛の関係などを中心にご案内しました。今回ご案内する後半部分では、北野天満宮の建築様式と秀吉や家康との関係や茶道、花街、落語や歌舞伎との関わりなどについてお伝えします。

北野大茶湯と長五郎餅本舗

image by:photolibrary

長五郎餅本舗」は、豊臣秀吉お気に入りの約400年続く老舗です。1587年10月、豊臣秀吉は千利休らを招き、北野天満宮で大茶会を催しました。有名な「北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)」です。

秀吉は庶民にも、上下の別なく参加を呼びかけました。北野天満宮で評判の餅屋「長五郎」も茶屋を出し、秀吉に餅を献上したところ、大変気に入られたそうです。秀吉から「以後長五郎餅と名乗るべし」といわれたその店は、今も「長五郎餅本舗」の暖簾を守っています。

北野大茶湯が開かれたときに、北野の松原には、千軒もの茶屋が並んだといいます。境内には秀吉が収集した茶道具の数々が披露され、秀吉自慢の黄金の茶室が用意されました。

特設された4つの茶席では、秀吉と千利休、津田宗及、今井宗休らが参会者に茶をたてたといいます。その光景に当時の京都人は、さぞ驚いたことでしょう。

上七軒(かみしちけん)

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全国的に有名な神社のお膝元が、華やかに栄えないことなどありません。室町時代に再建された際に残った資材を使って、7軒の茶店が建てられました。この7軒の茶屋から始まった店が、京都で最も古い歴史を持つ「花街・上七軒」です。

当時、秀吉が北野大茶湯を開いたとき、上七軒の茶店が団子を献上し、大いに誉められたと伝わります。また、隣町の西陣との結びつきが強く、その後も花街としての繁栄が続いていきました。

だた、現在お茶屋さんは5軒になってしまいました。3月下旬から開催される「北野をどり」は、とても素晴らしいお座敷舞いなので、ぜひご覧になることをおすすめします。

上方落語の祖・露の五郎兵衛

北野天満宮の参道image by:photoAC

北野天満宮の境内に「露の五郎兵衛の碑」があります。初代・露の五郎兵衛は、京落語(上方落語)の祖です。


1681年ごろ、北野天満宮の境内にて「辻噺(つじばなし)」という話芸をはじめたことにより、落語発祥の地と呼ばれています。今でも露の五郎兵衛は、上方落語の大名跡です。


歌舞伎発祥の地

技芸上達の神でもある北野天満宮には、1603年に歌舞伎の祖・出雲阿国が「かぶき踊り」を舞った記録があります。そのためこの地は、歌舞伎発祥の地とも言われています。当時北野天満宮の境内で評判になれば、現在の円山公園、四条河原町でも成功すると考えられていました。

神になりたかったんだ。秀吉・家康と意外な関係をもつ「北野天満宮」
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