まるでハロウィンみたい。仮装して楽しむ京都の風物詩「節分おばけ」
みなさんは、昔から京都の風習として伝わる「節分おばけ」をご存じでしょうか?節分お化けとは立春の風物詩で、節分のときに京都の花街を中心に行われている風習です。
今回は京都の節分に行われる、ハロウィンのような「節分おばけ」という風習を、節分の行事、由来、鬼の正体などとを合わせてご紹介します。
不思議な風習「節分おばけ」
昔から立春は新しく年が変わる日とされてきました。節分の日は現代の大晦日といった感じです。大晦日にあたる日に仮装をして神社・仏閣にお参りをし、一年の厄を落としていたのです。
実はこの風習は、平安時代にまで遡ります。年が変わるということは、恵方が変わるということです。恵方はその年の歳神様が降り立つ方角で、たたりの神が来ない最も良い方角とされています。そして大晦日には、歳神様が次の年の恵方に移動するのです。
古い言い伝えによると神様が移動するときに隙間ができるので、その隙間を狙って魑魅魍魎(ちみもうりょう)が入り込んでしまうとのこと。そこで魑魅魍魎が自分に襲いかかってこないようにと、ほかのものに化けてみせ、逆に化かすという習慣ができたです。
このような季節の変わり目や年月の変わり目は、秩序が大きく変わり、不安定な時期とされてきました。豆まきなどの行事と同じように、「節分おばけ」もそうした民間信仰として行われてきたのです。この魑魅魍魎が鬼(厄・疫)ということですね。
かつて「節分おばけ」は京都の町中の風習でした。戦後この風習は一般市民の間ではだいぶ廃れてしまいましたが、花街では引き継がれてきました。芸舞妓さんは時代劇やスポーツ選手などは、さまざまな扮装をして座敷に上がるそうです。
また、お客さんの方が芸妓さんや舞妓さんに扮してほかのお客さんの座敷に出ることもあるんだとか。通常このようなことはタブーですが、「節分おばけ」のときは特別のようです。花街のおばけは、厄年の人が変装して厄払いをするともいわれています。
今日では「節分おばけ」は花街の行事に思われがちですが、もともと町衆の文化です。近年では、ハロウィンイベントのように節分に仮装して歩く一般市民の姿を見かけるようになりました。
「鬼」って、一体何者?
「鬼」は安倍晴明で有名な陰陽師の「陰(おん)」に由来 します。鬼は「隠(おぬ)」にも由来する言葉です。「陰」「隠」という文字の意味は、「目に見えない邪気」「この世のものと思えないもの」です。
災害や疫病、飢饉などの災いなどはこの「鬼」の仕業だと考えられていたのです。人間の想像を超えた恐ろしい出来事はみんな鬼の仕業とされてきました。
一般的な鬼は、虎の毛皮を身にまとい、表面に突起のある金棒を持った大男です。肌の色によって「赤鬼」「青鬼」「緑鬼」などと呼ばれます。鬼は頭に牛の角が生えていて、虎の牙と爪を持ち、虎の毛皮を身に付けています。
鬼が入り込むとされる鬼門は、北東の方角です。北東の方角は丑寅(うしとら)。だから、鬼は牛と虎のハーフのような姿をしているのです。
また、鬼に対して勇敢に立ち向かい鬼門を守護するのは猿です。京都御所の北東の角にあたる猿が辻にいる猿、出町柳駅近くにある幸神社(さいのかみのやしろ)の猿、赤山禅院の猿、延暦寺の鎮守社・日吉神社の猿が京の都の鬼門を護っています。そのすべては御所の中心から北東方向に位置しています。
これは裏鬼門の方角である南西・未申(ひつじさる)が、猿だからです。鬼門の正反対にいる猿が「難をサル」状態にするために鬼門を守護しています。これこそが京の都を1200年以上守ってきた、最高のセキュリティーシステムなのです。