世界遺産・平等院の鳳凰堂を徹底解剖!国宝密度が日本一

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2021/03/14

10円玉でお馴染みの平等院鳳凰堂は日本を代表する観光地として有名です。編集部スタッフSは公私ともに何度も平等院を訪れていますが、さすが!世界遺産。何度訪れても新しい発見があります。平等院のことを知り尽くした学芸員さんに見どころを教えてもらいました!!

この世の終わり!末法がゆえに誕生した完璧なる極楽浄土の世界

撮影するなら順光になる午前中がおすすめ。午後からは逆光になるのでシルエットや夕日バックの写真が撮れますよ

もともと宇治の地は、平安貴族の別荘が営まれていたリゾート地。現在の平等院の地は、藤原頼通の父・道長の別荘「宇治殿」があった場所でした。

平安時代後期、日本では天皇、貴族をはじめ民衆に至るまで仏教に帰依していました。末法(仏教の教えが正しく伝わらなくなる時代)が永承7(1052)年に到来。疫病や自然災害が起こり、死に対する不安が広がったことで極楽浄土への憧れが生まれます。その際、頼通が別荘をお寺に改め、平等院を創建。それが、平等院の始まりです!

学芸員さん直伝!鳳凰堂みどころ紹介

翌年天喜元(1053)年に、関白・藤原頼通が平等院の阿弥陀堂を建立。中堂、翼廊(両サイドの2つ)、尾廊からなる建物で、鳳凰が羽を広げたように見えることから江戸時代より「鳳凰堂」と呼ばれるようになりました。

屋根周りの装飾も蓮華や宝相華で華やか

阿弥陀堂は末法の世の中に頼通自身が極楽浄土へ行くために建てたもの。今のように西洋医学がなかった時代、死への不安は現在の私たちには計り知れないものだったことが想像できますね。ここへ来ると頼通がいかに仏教に救いを求めていたのかがわかります!

ビジュアル重視!極楽浄土の世界観を徹底追求

2014年、平成の大改修で創建時の姿に近づいた。丹土塗りの柱と金色の鳳凰が煌びやか

鳳凰堂は、経典の中に出てくる極楽の宝池に浮かぶ阿弥陀如来の宮殿や庭園をモチーフに造られています。建築美を追求するあまり、まったく実用的なものではないことが見るとよくわかります。

例えば、中堂と翼廊が繋がっておらず行き来する手段がない。全体的に柱が高く軽やかな印象だが構造的に不安定とのこと。確かに。

中堂の阿弥陀如来がお顔を出す中央扉の上のベランダは飾りなので出る手段がない…など。ツッコミどころ満載です(笑)

1000年前の平安時代の屋根瓦も!保存修復は計画的に

このように超ビジュアル重視のため、構造的な負担が大変大きく、定期的な修理が欠かせません。創建以来、脈々と修理を繰り返し、藤原摂関家の遺構を偲べる唯一の建物は、日本の宝物として受け継がれてきました。


現在は科学を駆使した調査をし、保存修復作業が計画的に行われています。工期をなるべく縮小し、周辺の観光地としての活気が失われないように配慮もされています。

南側は全体的に色が薄い瓦屋根に。文化財は、もともと使われていた古材をできる限り再活用して保存修理をするため、平安時代の屋根瓦も使われている
屋根は魔が入ってきやすいとされる角が多いデザインのため、あらゆる場所に魔除けの鬼瓦が。通常は15くらいのところ鳳凰堂は50以上!

なぜ10円玉に?鳳凰堂って後にも建物があるってご存じ??

10円玉のイメージで、正面からの姿しかご存じでないかたがほとんどでは?ぜひ後ろからもご覧ください。尾廊がありました~!

鳳凰堂のまわりは、ぐるりと回遊できる庭園になっています。

10円玉に描かれている鳳凰堂、実は今の鳳凰堂とどこか違います。それはどこでしょう?

中堂の基礎部分、10円玉の鳳凰堂は石垣のようにブツブツですが、実物はツルっとしています。10円玉の鳳凰堂は改修前の明治の鳳凰堂の姿なんです。超細かいですがここはぜひ現地で見比べて!

遡ること昭和26年、当時の最高額硬貨が10円玉、当時から日本を代表する文化財であった鳳凰堂が刻印されました。前年に文化財保護法が制定され、国をあげて文化財を保護しようというアピールもあったのではないでしょうか。

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