京丹後市網野町に惹かれて移住を決意―老舗提灯屋「小嶋庵」の挑戦

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2021/11/29

コロナ禍をきっかけにワクワクするかたへ

八丁浜へは小嶋庵の横の小径を抜けるとすぐ

俊さん:いろいろなお話をいただき、だんだんと仕事が安定してきて、ここからポーンと次へ行けるぞ!となった矢先、コロナ禍になりました。お祭りやイベントが無くなって提灯の需要が減り、もう一度、商売を立て直さなければいけなくなったんです。

加えて僕自身、「これをやったら多分、こんな感じになるだろうな」と想像が付くようになり、チャレンジ感がないというか、以前のように「これはどうなるか分からない」ということをやらなくなってしまったんです。それで悶々としていたところ自粛期間へ入ってしまい、さぁどうする!?という状況になったんです。

そこで思いきって、いつも夏に来る京丹後市網野町へと家族で遊びに来ました。その時に見た3人の子供たちの顔、妻の顔、そして「あぁ、やっぱりここが好きだなぁ」と思った自分の心が忘れられなかった。それがトリガーとなり「ここに住むとなったらどうなるやろな」と真剣に考えはじめたんです。

「ここに広い工房があって、子供たちも遊べるとなったら面白いだろうな」と考え始めたら、妄想のスイッチが止まらなくなって(笑)。でも結局、子供たちの楽しそうな顔を見たら「悩んでいる場合じゃない。彼らもあと数年で思春期になるし、行くなら今しかない!」 と思いました。それに後であの時行けばよかったなって思うのが嫌で嫌で。何とかなるか、やるだけやってみようと移住を決めました。

― とはいえ自宅作業場でしかも家族経営で提灯を作ってきたのに俊さんだけ別の工房、しかも京都市内からも遠い網野町への移住を、みなさんよくOKされましたね。

俊さん:最初はみんなから「少し考えろ」と言われたのですが、実は僕らは1人が1つの提灯を最初から最後まで作るのではなく、分業制なんです。僕は竹を割るのが担当。しかも自粛中は各自、材料を持ち帰り、家で作業をしていたんです。だから一緒に作業しなくてもいけるかも、と思ったんですね。

連絡を密にして、僕は竹を割って期日までに京都市内に宅急便で送るのはどうだろう……そうやって夢物語ではなく現実的に可能になるように一つ一つ問題をクリアしていきました。

1本の竹をナタで割り、竹ヒゴを作っていきます
さまざまな長さの竹ヒゴを組んで提灯を作るのだとか。この束1つで提灯1丁できあがります

― 結果的には工房内で分業制にしていたことが功を奏したのですね。


俊さん:そうなんです。それで網野町にあるU設計室の設計士さん、京丹後で移住支援などをしている「丹後暮らし探求舎」の小林さん、不動産屋さんと一緒にいろいろな物件を見てまわり、ある物件を見た時、僕も妻も設計士さんも「ココだ!」 と気に入り、その日のうちに決めました。

― それが新しくできた工房なんですね。それにしても、この建物は随分天井が高いですね。

俊さん:ここは元機織り工場の建物なんです。天井が高く、提灯も吊れるなと思いました。

― 網野町といえば、丹後ちりめんが有名ですものね。

まちを歩くとどこかから今も織機の音が聞こえてきます

俊さん:実は顔には出しませんでしたが、僕の勝手な妄想で移住してしまったので、家族がこの環境に馴染めるか、心の中ではとても心配していました。ですが、いざ来てみたら地域の人がめちゃくちゃ温かいんです。今では毎日、子供の友達が家や工房に遊びに来ています。

僕も時間の使い方が京都市内にいた時と全然違い、朝7時ごろから仕事をして、子供が学校から帰ってきて一緒に遊んだり、僕が仕事をしている隣りで子供たちが宿題をしていて「ここが分からへん~」といっても教えてあげられます。

思いきって動いてよかったなと思います。網野町での暮らしで狙っていたのが100点だったとしたら、今は2,000点です。2,000点っておかしいですけれどね(笑)。

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