『グレート・ギャツビー』のフィッツジェラルドは、なぜ華麗ならざる死を遂げたか
再起を夢見たハリウッドでの悲しい死
日本の1980年代にバブルが弾けてしまったように、アメリカの1920年代も1929年のウォール街における株価大暴落で突然の終幕を迎えました。
それから長い世界大恐慌の時代が続きます。そして時代の寵児だったフィッツジェラルドも、まるでそれに合わせるかのように凋落していきました。
妻のゼルダが精神を病み、本は売れなくなり、そしてフィッツジェラルド自身は酒に溺れるようになっていきました。
東海岸の療養施設を転々としていたゼルダから離れ、フィッツジェラルドは北米大陸の反対側にあるハリウッドに単身で移りました。映画会社専属のシナリオライターとして生計を立てるためです。
しかし、どうやらその頃にはフィッツジェラルドの才能は枯渇してしまっていたようです。
ハリウッドに転居して数年後の1940年に、わずか44歳で心臓発作による急死を遂げました。その場所も愛人と暮らしていたハリウッドのぱっとしないアパートでした。アルコールへの極度な依存が死を早めたと考えられています。
ゼルダはフィッツジェラルドの葬式にも出席しませんでした。執筆中だった小説は未完に終わりましたが、後に『ラスト・タイクーン』という書名で出版されました。
フィッツジェラルドが死んだ建物は特に史跡に指定されるようなこともなく、敷地にはいまでもアパートがあります。
もちろん、元の建物は改築されているのでしょうが、2階建てのごく小さな規模のアパートです。ハリウッドのメインストリートであるサンセット・ブルバードから少し奥まった、あまりぱっとしない場所にあります。
約10分も車を走らせるとビバリーヒルズに着きますが、そこにはまるでギャツビーが住んでいたような大邸宅が並んでいることが、私は皮肉に感じてしまいます。
最高傑作『グレート・ギャツビー』を楽しむ方法
村上春樹氏のベストセラー『ノルウェイの森』にこんな場面があります。永沢という奇妙な性格の超エリートが主人公の青年に向かって、「『グレート・ギャツビー』を3回読む男なら俺と友だちになれそうだな」というのです。
逆にいえば、『グレート・ギャツビー』を読まないような人間は語るに足らない、ということなのでしょうか。これ以外にも、村上氏はことあるごとに『グレート・ギャツビー』を絶賛し、2006年には満を持した翻訳本を発表しています。
村上氏の大ファンでもある私にとって、大変困ったことなのですが、小さな声でそっと告白します。実は私は『グレート・ギャツビー』を読み始め、途中で投げ出したことが最低でも3回はあります。名文であるはずの英語で読んでも、名訳であるはずの村上春樹訳を読んでも、どういうわけか、最後まで読み続ける気になれないのです。
無論、米国文学の代表作とされる作品に共感できないのは、私の側に問題があるのでしょう。あるいは文学的素養とか情緒とかが徹底的に欠如しているのかもしれません。
それでも、私のような人にも『グレート・ギャツビー』を楽しむ方法はあります。この作品はすでに5回も映画化されているからです。第1本目はなんと出版の翌年、1926年だったそうです。その後、1949年、1974年(ロバート・レッドフォード主演)、2000年、2013年(レオナルド・ディカプリオ主演)と続きます。
さすがに最初の2本はいまでは観ることが難しいでしょうが、後の3本は比較的簡単にDVDやネット配信で見つけることができるでしょう。私の個人的な感想を述べるならば、1974年作品が最も原作のイメージに近く、2013年作品が最も華麗でスリリングな演出です。
舞台化も頻繁に行われていて、日本でも宝塚歌劇団が1991年に世界初のミュージカル公演を行ったそうです。
フィッツジェラルドが愛したといわれているジン・リッキーでも飲みながら、『グレート・ギャツビー』の映像世界を楽しむのはいかがでしょうか。ふたたび小声で告白すると、私はすでにそれを3回行いました。十分以上に楽しむことができました。最後の方は酔っぱらってしまうのがやや難点ではありますが。
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