『グレート・ギャツビー』のフィッツジェラルドは、なぜ華麗ならざる死を遂げたか
英米文学の数ある名作のなかでも、スコット・フィッツジェラルドが書いた『グレート・ギャツビー(邦題:華麗なるギャツビー)』ほど、批評家からの評価が高いだけではなく、いまでも多くの人に読まれている小説はそれほど多くありません。
私は1980年代にカリフォルニア州のある高校に通いましたが、英語のクラスでこの『グレート・ギャツビー』を読まされた記憶があります。それから35年以上経った後、高校生になった息子が同じ本を学校からの課題図書として購入していました。
『華麗なるギャツビー』が刊行されたのは1925年。そのストーリーは1922年の夏にロングアイランドで起きた出来事だと作中で紹介されています。つまり、2022年はこの名作の舞台となった年から数えてちょうど100周年にあたるわけです。
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アメリカが最も盛り上がっていた時代の申し子
フィッツジェラルドがこの作品をほぼ同時進行で描いた1920年代のアメリカには、よく「狂乱の」とか「狂騒の」という形容詞がつきまといます。
第一次世界大戦が終わり、空前の好景気に沸いていたアメリカでは、社会、経済、文化、スポーツなど、ありとあらゆる面で急激な変化に直面し、人々の価値観が大きな転換期を迎えていた時代でした。
ヘンリー・フォードが自家用車の大量生産を始め、全国ネットのラジオ放送が始まり、禁酒法を背景にマフィアが勢力を伸ばし、ベーブ・ルースがホームラン記録を更新し続け、チャールズ・リンドバーグが初の大西洋単独無着陸飛行に成功し、参政権を得た女性たちのなかから「フラッパー」と呼ばれた新しいファッションとライフスタイルが生まれ、ダンスが流行していました。
フィッツジェラルドが若くして人気を得た理由の大きなものに、この歴史上稀有な時代のムードをつかみ、それを表現する能力に長けていたことが挙げられます。
ギャツビーのモデルはフィッツジェラルド自身か
主人公であるジェイ・ギャツビー、語り手であるニック・キャラウェイ。この2人の作中キャラクターと作者であるフィッツジェラルドの間には多くの類似点があります。
フィッツジェラルドとキャラウェイは、どちらもミネソタ出身です。フィッツジェラルドはプリンストン大学、キャラウェイはエール大学に通いました。どちらもアメリカ東部のアイビーリーグに属する有名大学です。
キャラウェイが「今日は僕の30歳の誕生日だ」と呟く場面が作中にありますが、この本が出版された1925年にフィッツジェラルドも29歳でした。
フィッツジェラルドとギャツビーには、2人とも第一次世界大戦中に軍隊経験があります。そして何よりも重要なことに、彼らは配属された土地で上流階級の娘と恋に落ち、そしてお金がないという理由で結婚できなかったのです。
ギャツビーはデイジーに再会するために建てた大邸宅でパーティーを開きます。フィッツジェラルドはゼルダの歓心を得るために作家になりました。
やがて結婚した2人はニューヨークやパリで伝説的なほどの派手な社交生活を繰り広げました。貧しい階級出身の若者が大金持ちになって上流階級へ上っていく、これもアメリカン・ドリームのひとつといえるでしょう。