かつて嫌われていた日本人。村上春樹が見たアメリカは、いまどう変わったのか
2023年4月13日(木)に刊行された、村上春樹さんの新作長編『街とその不確かな壁』。
その村上さんがアメリカのマサチューセッツ州ボストン近郊にあるウェルズリー大学で、4月27日に特別講演を行ったことがニュースになりました。
ウェルズリー大学はアメリカ屈指の名門女子大学で、かのヒラリー・クリントン氏も卒業生のひとりです。
村上さんは、現在から約30年前、1990年代前半にもアメリカ東海岸の大学に籍を置いていました。
1991〜1993年までニュージャージー州プリンストン大学、そして1993〜1995年までマサチューセッツ州タフツ大学で、それぞれの客員教授として務めていたのです。
大学名こそ異なりますが、今回の講演は約30年振りの凱旋といえなくもありません。
1990年代前半は村上さんが『国境の南、太陽の西』(1992年)、『ねじまき鳥クロニクル』(1994年・1995年)といった長編小説を執筆されていた時期と重なります。
そのかたわらにアメリカでの生活を描いた文章が『やがて哀しき外国語』(1994年)と、『うずまき猫のみつけかた』(1996年)という2冊のエッセイ集にまとめられています。
私事ではありますが、私はこの日本が誇る現代世界の文豪とこの時期に少しだけすれ違っています。
1994年に東京からニュージャージー州へ移り住み、プリンストンではありませんが、同州内の似たような「平和で牧歌的な高級田舎町」で3年間を過ごしたことがあるのです。
私と村上さんの間には、日本人男性であること以外には何の共通点もありませんが、そのころに限っては同じような経験をしたかもしれません。
村上さんは1996年に日本へ帰国しましたが、私はカリフォルニア州へ移ったものの、その後延々とアメリカに住み続けて、来年で滞米30年になります。
日本でよくいわれる「失われた30年」と、ほぼ同じ期間をアメリカで過ごしたことになります。
そのころに村上さんが見たアメリカは、今ではどう変わり、またどう変わっていないかを、上2冊のエッセイ集からいくつかのキーワードを拾い出して紹介します。ただし、解釈はすべて私の主観であることをあらかじめお断りしておきます。
なお、本のタイトルをその都度書いていくと長くなりますので、以後『やがて哀しき外国語』を「哀外語」、『うずまき猫のみつけかた』を「うず猫」に省略します。
目次
特定の地域にしかなかった「ドーナッツ店」
「哀外語」のあとがきに、ボストンに引っ越した村上さんが大学のそばの「ダンキン・ドーナッツ」でコーヒーとドーナッツを買うという話が出てきます。
1990年代当時、ダンキン・ドーナッツといえばアメリカの北東部を中心に展開していて、北米大陸の反対側にあるカリフォルニア州では未知で憧れの(とは大げさですが)チェーン店でした。
ところが、2010年代半ばからダンキン・ドーナッツは全米展開を推し進め、カリフォルニア州にも多くの店ができました。
私の住む近所に新店舗がオープンしたときは、ちょっとしたローカルニュースになり、開店してからしばらくの間は店の前に長い行列ができていたことを覚えています。
いまでは全米各地でダンキン・ドーナッツは、そんなに珍しいものではありません。
そのことをアメリカ各地域が持っていた独自性が薄まり、より画一的な社会へと向かっていることの象徴ととらえるのは考えすぎでしょうか。
1990年代前半は、まだシアトル系コーヒーショップのひとつだと思われていたスターバックス・コーヒーは、いまでは全米はおろか世界中に広まっています。日本にもいろんなところに店舗がありますよね。
つい最近もカリフォルニア州の名物ハンバーガーチェーン「In-N-Out(イン・アンド・アウト)」が東海岸に進出するというニュースが報じられたところです。
アメリカの食べ物に関して、もはや特定の地域でしか体験できないものは少なくなった。私はそんな風に感じています。
届かなくなった「電話帳」と「分厚い新聞紙」
村上さんが、プリンストン近辺のローカル紙『トレントン・タイムズ』を毎日購読し、その一方で高級紙『NYタイムズ』の週末版だけを取っていたという話が「哀外語」に出てきます。
「分厚くて重い日曜版が、まるで捨て子みたいに家の前にぼこっと置かれている」と書かれた住宅地の光景は、確かに1990年代半ばくらいまでは日常的でした。
その後、インターネットの普及に伴い、新聞のデジタル化が急速に進みました。私もたぶん1996年ごろに新聞購読を止めた記憶があります。
紙に印刷された新聞が絶滅したわけではなく、いまでもコーヒーショップなどには置いてありますが、それでも以前よりはずっと薄くなっています。手に取る人も年配の方が多いようです。
新聞社という報道機関は存続するにしても、新聞紙や新聞配達という言葉は近い将来には、死語になっているのではないでしょうか。あるいは、もうなっているのかもしれません。
分厚い紙の象徴でもあった電話帳に至っては、年を追うごとに薄くなっていき、現在ではまったく死滅してしまったように思えます。少なくとも、私の自宅には届かなくなりました。