宮崎「チキン南蛮カレー」をバズらせた男・ルウ王子のスパイシーな半生
チキンが5つも乗ったお得感満載のカレー
そんなルウ王子が考案した「チキン南蛮カレー」は月に1,500皿以上の注文がある超人気メニュー。さっそく、賞味させていただきます。
……うん! 「うまい!」。王子、これは確かに「てげえうめえ!(とてもおいしい)」カレーです。カレーソースがまろやかで、やさしい、トゲがないお味。
懸念していた甘酢ダレとも喧嘩することなくマッチングもばっちり。辛さと酸っぱさ、チキン南蛮とカレーがこんなに合うとは意外でした。
ルウ王子「リンゴとニンジンを多めに、具材が溶けきるまでまる1日がかりで煮込みます。そうすると、スパイスの辛さと自然の甘みが調和したカレーソースになるんです。母のカレーをベースに、チキン南蛮と合うように試行錯誤を重ねました」
なによりチキン南蛮そのものが、サクサクもっちり、とってもおいしい。唐揚げとフリッターの中間のような、食べた経験がない衣(ころも)です。口に入れやすいサイズで、なおかつ5つも添えられていて、お得感あり。
ルウ王子「皆さん、『とにかくチキン南蛮がうまい』と喜んでくださいます。カレー屋さんのチキン南蛮って正直に言って普通は期待値が低いですよね。けれども『あれ?チキン南蛮だけでもうめーぞ』って驚かれます」
実はルウ王子のチキン南蛮は、からあげグランプリ「チキン南蛮」部門で金賞を受賞した逸品。チキン南蛮だけで催事に招かれるほどのスペシャリテなのです。
味のかなめとなる甘酢ダレも、メイプルシロップのような深いコクがあります。チキンの衣にしっとり絡みついてたまりません。
ルウ王子「秘伝の甘酢タレが最大のポイントだと思っています。レシピは企業秘密なので教えられないですが、教えたとしてもマネする人はいないでしょうね。きっと『こんなにめんどくさいんじゃ割に合わない』と、手を出さないんじゃないかな」
役者を夢見て上京したものの…
ああ、おいしかった~。大満足。宮崎までやってきた甲斐がありました。それにしても、店長はいったいなぜマスク姿なのでしょう。その背景には、けっこうスパイシーな物語がありました。
ルウ王子の父は花火職人。多角経営をしており、44年前(2023年現在)に「カレー倶楽部ルウ」をオープン。20年前に現在地へ移り、「カレー倶楽部ルウ」とお弁当屋さん「デリカルウ」を隣り合わせで開店しました。
そのころ、王子は芝居に夢中になり、「役者になりたい」という夢を抱いていたのです。
ルウ王子「学生時代、『別の人生を演じるのって、おもしろいな』と感じていたんです。そんな想いを抱えながら高校を卒業するころ、東京の知人から『こっちでタレント活動をしないか』と誘われましてね。
『自分も役者になれる!』と勇んで上京しました。ところが……入った事務所がすぐに潰れてしまいまして(苦笑)。啖呵を切って家を出たので、恥ずかしくて宮崎にすぐには帰れませんでしたね」
父がつくる花火のようには打ちあがらず、オーディションを受けても落選続き。友人の劇団を手伝ったり、吉祥寺の駅前や井之頭公園でパフォーマンスしたり。
なんとかチャンスをつかもうともがくものの、演劇の神は微笑んではくれません。そうして陽の目を見ないまま、東京で10年の歳月が流れました。
役者への夢が破れ帰郷。しかしさらなる厳しい現実が
そんなルウ王子に、大きな転機が訪れます。
ルウ王子「祖母が急死し、久しぶりに故郷へ帰ることになったんです。そのとき父から、『お前ももうすぐ30歳。年齢が年齢やし、もうこっちへ帰ってこんか』と説得されました。
悩んだんですけど、東京で10年やって芽が出なかったし、『潮時かな』と感じ、家業を継ぐことにしました。芸能界の仕事は燃え尽きました。後悔はまったくないです」
帰郷して先ず引き継いだのが、お弁当屋さん「デリカルウ」。朝6時から厨房でハンバーグなどを仕込み、調理だけではなく配達もする忙しい日々。一番人気は「チキン南蛮弁当」でした。
ルウ王子「“チキン南蛮がおいしい店”として評判で、1日300食も出るほどだったんです。特に甘酢ダレは『真似できない味』と好評でした。
当時の料理人さんがホテルのレストランを何軒も担当したすごいシェフで、独自の味を開発してくださったんです。現在のチキン南蛮カレーは、あの頃のレジピを基本にしているんですよ」
カレー倶楽部ルウのチキン南蛮は、ホテルのレストランで腕を磨いたシェフによって生み出されたものでした。どうりでおいしいはずです。
しかし、はた目には好調に見えたお弁当屋さんですが、内情は「火の車だった」のだそうです。
ルウ王子「働きだして、わかったんです。実はこの弁当屋、4回くらい倒産の危機があったんですよ。お弁当って原価率と人件費が高い、薄利な商品なんです。それなのに当時はお弁当の安売り競争が激化し、500円でも出血価格なのに、一つ300円台が当たり前になっていました。
マックのハンバーガーが80円なんていう時代。値上げが許容される世の中じゃなかったんです。そんな時流でしたから、毎月100万ぐらい赤字が出るんですよ。負債総額は1億まで膨らみ、借金を返すために借金をして、たいへんでしたね」
品質がいい素材を使い、妥協を許さぬ味を追求したお弁当屋さんは、2006(平成18)年に泣く泣く閉業する運びに。ルウ王子は母が店長をつとめたカレー専門店「カレー倶楽部ルウ」へと異動となりました。