地名で歩く東京散歩。新宿にある静寂の街「愛住町」のナゾ

東京の地名の由来と、それにまつわる歴史やトリビアなどをご紹介する企画シリーズ「東京地名散歩」。とくに観光資源のない地域でも、地名の由来にちょっとフォーカスしただけで、いつもとは違う散歩の楽しみが生まれてくるものです。

第1弾は、新宿区の四谷地域にある「愛住町」という街です。ライターの未知草ニハチローさんがこの街を訪ねました。

静寂の街「愛住町」の名前に込められた想いとは?

午後の穏やかな陽を浴びて眠そうな町内掲示板

新宿区の四谷地域に愛住町(あいずみちょう)という町名があります。愛が住む町。素敵な地名です。「愛の暮らし」がたくさん詰まっていそうな、この愛住町を訪ねる散歩に出掛けました。

地下鉄・四谷三丁目駅からすぐ、消防博物館前を新宿方面に向かう新宿通り(旧甲州街道)の横丁を右に折れたら、そこが愛住町です。愛住町に入ると、車が一日中ひっきりなしに走る新宿通りの隣接地とは思えないほどの静寂さに、たちまち包まれます。

静寂の秘密は、一つには愛住町が谷や坂の複雑に入り組む段丘的な地形であること。また段丘の上には大きなお寺が5つも並んでおり、それぞれが墓地を持っています。高低差のかなり激しい、わずか0.8㎢(およそ300m弱・四方)のエリアが、それらの寺院群を中心に、戸建て住宅や低・中層の小規模マンション・オフィスビル、公園などで占められているのです。

愛住町は新宿通りから靖国通りに抜けるのに便利なエリアですが、道幅が狭く枝道も随所で崖に遮断されがちなため、車はあまり入ってきません。静寂に支配されているのもうなずけます

高台のお寺からは新宿の高層ビルがよくみえる(1823年創建の法雲寺)

愛住町の寺院群はほとんどが江戸時代初期創建の古刹です。そのため明治5(1872)年に四谷愛住町へ町名変更(さらに現在の愛住町に変更されたのは明治44=1911年)されるまで、エリアは四谷北寺町と呼ばれていました。

中には徳川家康の江戸入府(江戸幕府成立以前の17世紀初頭)の際に、家康の旧領・三河から江戸へ一緒に引っ越してきた正應寺のような例さえあります(最初は麹町に移転し、四谷北寺町には寛永11=1634年に移転)。

『東京の地名由来辞典』(竹内誠編・東京堂出版)によれば、四谷北寺町が明治維新の直後に四谷愛住町と改名された背景には、この地に暮らす人たちによる「地域を共に愛し、隣人を愛し、みんながまちづくりに協力しあうような町内として発展していきたい」、そんな願いが込められていたといいます。


段丘地形の愛住町は階段だらけ

同様に地域の発展を願い、縁起のいい文字を使って命名された地名は瑞祥地名」ともいわれ、昔から「寿」「」「」「末広」「相生」「」「」「八重」など多彩な瑞祥文字が、町名や坂名、橋名などに使われてきました。

それは今も全国的によく見られますが、愛住町というのはかなり異色です。明治維新直後の文明開化の風がふと感じられるようなモダンな雰囲気の町名です。

江戸時代には労働者のための風呂小屋が並んでいた「湯屋横町」

地下鉄・四谷三丁目駅前にある消防博物館のすぐ横、新宿通り(旧甲州街道)から愛住町に入っていく横丁は2つあります。一つは消防博物館からすぐの「浄運寺横町」、もう一つは博物館から50mほど新宿寄りにある「湯屋横町」です。

どちらも江戸時代初期から使われていた通りの通称で、正式な地名ではありませんが、新宿区発行の観光ガイドマップには今もきちんと記されています。

かつての湯屋横町。道の両脇に湯小屋が並んだ

浄運寺横町は江戸時代初期、四谷北寺町に初めて造られたお寺・浄運寺元和5=1619年創建)にちなむ通りの通称です。

もう一つの湯屋横町の命名には、おもしろい由来があります。前出『東京の地名由来辞典』によれば、江戸時代初期の当時、この付近は玉川上水の四谷水番所(多摩川の羽村取水堰から分流した玉川上水は、承応2=1653年に完成した四谷水番所から江戸市内各所に配水された)を作る工事が行われており、大勢の人夫(労働者)たちが泥んこになって働く様が日常風景になっていました。

それをみて気の毒に思った地元の商人安井三左衛門が、甲州街道につながる横丁に風呂小屋をいくつも並べ、四谷水番所が完成するまで人夫たちに毎日無料で入ってもらったのだそうです。

それで湯屋横町と呼ばれるようになったわけですが、三左衛門さんはきっと何年ものあいだ、懸命に働く人夫たちのためにお風呂を沸かし続けたのでしょう。後にこのエリアが(四谷)愛住町と改称されるにふさわしい、愛の感じられるエピソードです。

愛住公園に暮らすニャンコ。ノラでもおっとりしています

釣り人に福をもたらす「釣り地蔵」も

愛住町らしい「愛の感じられる光景」にも事欠きません。例えば新宿通り側から浄運寺横町に入り、最初に出会うお寺安禅寺(寛永11=1634年に麹町清水谷から移転)の前の道ばたには、「たんきり子育て地蔵尊」がひっそりと鎮座しています。

慈愛に満ちたお顔がありがたい「たんきり子育て地蔵尊」
慈愛に満ちたお顔がありがたい「たんきり子育て地蔵尊」

小さな御堂のなかにおわす「たんきり子育て地蔵尊」は、安禅寺が麹町からこの地に移転する際、一緒に移されました。「子どものセキや、老人のゼンソクのタンを切れない方が信仰すると効能のある、霊験あらたかなお地蔵様」とお寺の説明書きにあります。

このお地蔵様は幕末の大火、戦時中の空襲などで再三消滅しましたが、そのつど地域の人々や信仰する人々の手で復元建立されたそうです。そして今も、慈愛に満ちたそのお顔で、このエリアにあまねく愛の光を投げかけているのです。

「みなまで言わない」やさしくて粋な文面の注意書き

「たんきり子育て地蔵尊」の前を通り過ぎ、正應寺や法雲寺、浄運寺の前をさらに進むと、道は「暗闇坂」(約120mの急坂。江戸時代は左右に樹木が繁茂し、昼なお暗かったため暗闇坂と呼ばれた)に差し掛かります。

暗闇坂の背後は全長寺(1624年に四谷北寺町に移転)の墓地

その直前の路傍に、今度は「釣り地蔵」という名の釣竿を持ったかわいいお地蔵様が祀られているのに出会います。

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このお地蔵様は『週刊つりニュース社』付属《釣り文化資料館》(日本各地の伝統的な釣竿などを展示・入館無料、素晴らしいコレクションです!)のシンボルです。

ネットをみると「釣りに行く前にこのお地蔵様をお参りすると釣果がアップする」などという書き込みも目立ちます。釣りを愛する人々に福をもたらす、これもまた愛住町ならではの慈愛に満ちたお地蔵様といえます。

ひとつの街を散策するだけでも、様々な発見に満ちています。さて、次回はどこに行こうかな?

  • image by:未知草ニハチロー
  • ※掲載時の情報です。内容は変更になる可能性があります。
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日本各地をマタ(股)旅散歩しながら、雑誌などにまちづくりのリポートをしている。裸の大将・山下清のように足の裏がブ厚くなるほど、各地を歩きまわる(散歩する)ことが目標。「未知草ニハチローのまちづくりのココロ訪問記」は地域ごとに現在進行形で行われている、まちづくりのココロを訪ねる小さな旅のシリーズ。

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