1月19日放送開始!2020年大河ドラマ『麒麟がくる』明智光秀ゆかりの地
京都府の光秀ゆかりの地ってどんなところがあるの?
光秀が初代城主を務めたお城@福知山城
福知山城は光秀が織田信長の命を受けて丹波を平定した際、西国攻略の拠点として天正7(1579)年ごろ築かれたお城。明治時代に廃城、昭和61年に天守閣が復元されました。
天守閣の石垣は当時のもの。転用石といって五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)が石垣の一部に使われており、信長が関わる城に共通するもの。諸説ありますが、旧勢力の象徴である寺院から石を集めていれることで支配を示そうとしたのだとか。
光秀は石を集めるだけでなく、寺院に代用石を配ったとも伝えられおり、上司の命は守りつつ、新たな統治者としての心配りも忘れないなんて、さすが光秀ですね。
光秀と思しき武将の声が響くおもしろ自動販売機。お金を入れると「時は今、明智光秀ここに見参!」「敵は本能寺にあり!」「のぶながぁ!」などとシチュエーションによっていろんなセリフが飛ぶ仕掛けが。
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光秀最後の戦いは「山崎の合戦」@天王山
本能寺の変のあと、天王山を擁する大山崎町で、秀吉VS光秀の「山崎の合戦」が繰り広げられました。その際、「敵の動きを把握できる重要な場所」として天王山の陣取り合戦が行われたといいます。
山崎の合戦では光秀軍約1万6,000人VS秀吉軍約4万人と兵力の大差で大敗。光秀はすぐ近くの勝龍寺城に逃げ込み、その後本拠の近江坂本城を目指して落ち延びようとしますが、山科の竹藪で落ち武者狩りに刺され、その後自刃します。
- ・山崎の合戦についての記事はこちら↓(KYOTO SIDE内)
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光秀の願いにより自身の首を葬った寺@谷性寺
丹波平定の拠点として「亀山城」を築いた光秀の首塚が、亀岡の谷性寺にあります。別名「桔梗寺」「光秀寺」ともよばれ、現在は桔梗の名所としても知られています。
本能寺で信長を攻め、山﨑の合戦で秀吉に敗れた光秀は滋賀県坂本城へ退却する途中、伏見の小栗栖(おぐりす)で農民に襲われ自刃、家臣が介錯します。
その首を光秀が信仰していた谷性寺に埋めるように命じたそうです。のちに近臣が首を掘り出し、谷性寺に手厚く葬ったと伝わっています。
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光秀ゆかりの地・京都にはどんなお土産があるの?
京都府内には、さまざまな光秀にまつわるスイーツやグッズが目白押し。例えば、戦国×カワイイがコンセプトの明智茶屋では、光秀が愛した丹波の卵を使った「光秀の愛したプリン」や、桔梗紋を焼き印し、卵をたっぷり使った「桔梗ロール」など光秀にちなんだスイーツがのった「光秀プレートセット」が人気です。
- ・そのほかの光秀スイーツについての記事はこちら↓(KYOTO SIDE内)
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2020年1月11日亀岡市にOPENの「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」のレポート記事もお届け予定!こちらもお楽しみに。
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