1月19日放送開始!2020年大河ドラマ『麒麟がくる』明智光秀ゆかりの地

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2020/01/18

いよいよ、明智光秀が主人公の大河ドラマの放送開始が目前に迫ってきましたよ!KYOTOSIDEではこれまで光秀に関する記事をいろいろと制作してきましたが、このタイミングでしっかりとおさらいをしておきましょう。光秀ゆかりの地めぐりにもぜひご活用くださいね。

謎多き戦国武将・明智光秀ってどんな人?

テレビの歴史番組でもご活躍中の、国際日本文化研究センター准教授の磯田道史先生にどんな人物だったのかおうかがいしました。

ズバ抜けた野心・頭脳をもつイケメン武将

ズバ抜けた野心、家族みんなイケメン&美女、超絶な記憶力。この3つがそろって何でもできるという強い自己肯定感があった人だと思います。さらに、超合理的主義者。自分にだけ滅私奉公をしてくれる光秀を信長は大変気に入っていたようですね。

 「本能寺の変」で魔王と呼ばれた信長を倒す

私は「なぜ、光秀は信長を簡単に殺せると思ったのか」、この点が大事な気がします。

 信長は本能寺に泊まる前、京都に来ると必ずといっていいほど光秀の屋敷に泊まっていたことから、行動パターンを知っていました。信長は在京中、非常に無防備で、光秀の懐の中に入ってきてスヤスヤと眠っていたわけです。

 ですから、光秀は、信長に追い詰められ将来に不安をおぼえたとき、「京都でなら殺せる」と思ったはずです。光秀に「できる」と思わせてしまったのも、信長の失敗の一つだと思います。

光秀の家族や親戚ってどんな人たち?

光秀の娘は絶世の美女。現代もご当地キャラとして大活躍

玉は戦国武将・明智光秀の三女として生まれ、16歳のときに勝龍寺城の城主である細川藤孝の嫡男・忠興に嫁ぎます。時代のうねりに翻弄される人生でしたが、幸福な新婚時代を過ごしたのが長岡京の勝龍寺城。

勝竜寺城公園内、忠興とガラシャ像

長岡京市では毎年11月の第2日曜には玉と忠興の輿入れ行列を再現した「長岡京・ガラシャ祭」が開催され、マスコットキャラクターが「お玉ちゃん」なんです。

細川元総理のご先祖様・細川藤孝(幽斉)

田辺城資料館・細川幽斉像

京都府にとって明智・細川の2家は非常に縁の深い家です。両家とも、福知山や亀岡、長岡京など、京都府内の都市を拓いたゆかりの家です。光秀と藤孝は信長に仕える超優秀な家臣で、苦楽を共にした同僚。信長が光秀の娘・明智玉と幽斎の息子・忠興を結婚させたともいわれ、親戚関係にもありました。


藤孝が丹後の領主になってからわずか2年後、光秀が主君・信長を討つ「本能寺の変」の知らせをうけます。信長に対する追悼の意味を示すために髪を下ろして、幽斎玄旨(ゆうさいげんし)と名乗り、家督を息子・忠興に譲り、舞鶴の田辺城にて隠居します。

光秀と秀吉が激突した“天下分け目の合戦”こと山崎合戦では、幽斎は信長父子の喪に服するという意味で、光秀には見方せず、中立の立場として丹後から動きませんでした。

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