日本の100年前を振り返る。1923年「11月」被災後の東京で増加したものとは?

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2023/11/04

被災後の東京をクラシックが癒す

ハイフェッツ

かつて、「ハイフェッツ」というバイオリニストが存在しました。

ロシア帝国領ヴィリナ (現在のリトアニア)で生まれた後、神童と評価され、若くして名声を博すも、1917年(大正6年)のロシア革命を機にアメリカに渡米。その後も、世界的な名声を確かにしていきます。

情緒に流されない、正確無比の技術に支えられた演奏で新たなスタイルを確立し、

<20世紀最大の巨匠>(小学館『日本大百科全書』より引用)

と後に言われた人でもあります。そのハイフェッツは、関東大震災の当日に、ニューヨークからの船旅に出ました。関東大震災の一報を受けると、船内でチャリティ演奏会を開催し、義援金を集めました。

中国を経由し、11月に神戸に入って東京へ向かいます。まず、帝国ホテルの宴会場でリサイタルを3日間開き、日比谷公園でも入場料を抑え、慈善演奏会を開きました。

慈善演奏会では、全曲を弾き終えた後、『君が代』を演奏し、数千人の観衆は総立ちになったとか。

この時期、東京シンフォニーオーケストラも帝国ホテルで演奏をしています。被災後の東京で、クラシックが人々の心を癒やしたとも言えそうです。

ミュンヘン一揆でヒトラー逮捕

1923年11月9日のオデオン広場 image by:Bundesarchiv

ちょうど100年前の11月の新聞には「ミュンヘン一揆」という言葉も見られます。ミュンヘン一揆とは、ヒトラー一揆とも言われ、アドルフ・ヒトラーの名前がいよいよ歴史に登場しつつある時期でした。

第一次世界大戦(1914〜1918年)の敗戦で、賠償金の支払いを命じられていたドイツが、支払いを遅滞。その制裁として、フランス・ベルギー軍が、ドイツの一部(ルール地方)を占領します。


ベルリンにあった中央政府は抵抗するものの、9月に抵抗中止を宣言すると、幕府の弱腰姿勢を批判する反対勢力が日本の幕末でも群がり出たように、バイエルンに中央政府打倒の声が高まります。

バイエルンで独裁的権限を与えられた首脳陣は、ベルリン進撃と独裁政権の樹立を計画。その準軍事組織である行動部隊として、ヒトラーらの極右派を首脳陣が使っていました。

しかし、ベルリン進撃、独立政権樹立の直前になってバイエルンの首脳陣が計画を延期したため、11月8日の夜、600人の武装したナチス突撃隊とともに、ヒトラーが行動を展開します。

首脳陣が集会を開いていたビアホールを襲撃し、ピストルで首脳部を脅迫して「革命」を強要し、約束させます。

しかし翌日、ヒトラーらが、バイエルン市の中心部にあるオデオン広場に向けてデモ活動を展開している際に、武装警察帯に銃撃され、デモ隊は壊滅。ヒトラーは、5年の刑で投獄されました。

実際は、1年間の禁固となりますが、その獄中で有名な『わが闘争』を書き、釈放された後に選挙政治に取り組み始め、誰もが知る独裁者になっていきました。

その意味で、日本にとっても極めて重要な転換期だったと言えるかもしれません。

以上、100年前の11月に起きたできごとを紹介しました。引き続き、来月も楽しみにしていてくださいね。

 

  • image by:image by:Bundesarchiv
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翻訳家・ライター・編集者。成城大学文芸学部芸術学科卒。富山在住。主な訳書『クールジャパン一般常識』、新著(共著)『いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日』。北陸のWebメディア『HOKUROKU』創刊編集長。WebsiteTwitter 

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