日本の100年前を振り返る。1923年「11月」被災後の東京で増加したものとは?

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2023/11/04

100年前の今月、日本や世界で何が起こったのかを振り返る連載。今回は、1923年(大正12年)11月に起きたできごとをご紹介します。

仮設のチェーンストアが焼け野原の東京に増加

関東大震災後の日本橋人形町に建てられた小川屋呉服店の仮設店舗 1923ごろ image by:洪洋社

最初は、関東大震災関連の話。関東大震災は今から100年前、9月1日の午前11時58分に発生しました。

ちょうど、お昼時だったため、東京を中心に市街地は火災による壊滅的なダメージを受けました。全焼・全壊した家屋が70万以上に及んだとされています。

東京は、後の第二次世界大戦の敗戦時のように焼け野原になりました。両国では、火災旋風といって、ほのおの竜巻のような現象まで発生したそう。

その焼け野原になった東京が被災してから2カ月が経過した100年前の11月。まちが少しずつ復興していく過程で、アメリカ流のチェーン・ストア方式を思わせるお店がバラック街に登場し、大盛況となります。

三越、松屋などの大商店が、東京市内(当時は、東京市)の焼け野原の要所要所に、支店や出張所を仮設店として設け、さまざまな物品を売って、大盛況となったのです。

男性だけの井戸端会議

同じく、関東大震災の話。関東大震災のニュースは、同時期に海を越えて南米に渡航した日系移民にも国際報道で伝わるほど、衝撃的なできごとでした。

関東大震災で焼け野原になった東京では、日比谷公園や上野の不忍池の周辺にバラック街ができたり、雨露をただしのぐだけの掘っ立て小屋ができたりと、雑然としていました。

その雑多なまちなかでは、関東大震災を機に失業した男性たちが、バラック小屋や共同水道の近くに集まって、子どものおむつを洗ったり、米をといだり、鍋を洗ったり、井戸端会議をしたりした姿が目立ったそうです。


その見慣れない非日常の光景について、当時の新聞(東京日日新聞夕刊)にはこう記されていました。

<救済の不備それらが井戸端にこの革命を余儀なくした>(東京日日新聞夕刊より引用)

その光景は当時の感覚からすると「革命」的に見えたのですね。

朝鮮人・中国人虐殺に関する処理問題が噴出

自警団の武器。image by:Tokyo Metropolitan Police Department

関東大震災では人災も起きました。小田原方面は激烈な揺れに遭い、東京・横浜方面は揺れと火災で壊滅的な被害が出ました。

震災が起きた当日の夕方から、人種差別的な流言が広まります。

「朝鮮人が井戸に毒を入れた」だとか「朝鮮人が放火している」など、非常事態の中でうその情報が広まり、日本の民間人が組織した自警団のみならず、軍隊・警察によって数千人の朝鮮人が虐殺されました。

その背景には、警察組織の頂点にあたる内務省の局長から各地方長官に宛てられた誤った打電も大きく働いたとの報告もあります。

<「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり>(日弁連人権擁護委員会『朝鮮人・中国人虐殺事件の真相究明と謝罪を』より引用)

そうした問題を受けて、中国から調査員が日本へ派遣されたり、中国政府が賠償金を要求したりと、国際問題に発展した1カ月でした。当時の新聞各紙には、繰り返しこの問題が取り上げられています。

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