米国のマクドナルド「第1号」店はどこ? その地で最も有名になったとある日系人の存在

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2024/08/16

2026年に開通100周年を迎えるルート66。イリノイ州シカゴからカリフォルニア州サンタモニカまで、北米大陸をほぼ横断し、8つの州といくつもの小さな町を通り抜けたこの道路は、アメリカン・ドリームを追い求めた人々の主要ルートになりました。道沿いにはモーテル、ファミリーレストラン、ガソリンスタンドなど新たなビジネスが誕生し、アメリカ人のライフスタイルと消費文化に大きな影響を与えました。

ある意味でアメリカの食文化を象徴すると言えなくもない、あの世界的ハンバーガーチェーン、「マクドナルド」もそのひとつです。公式ウェブサイトによると、現在のマクドナルドはアメリカのみならず世界100か国以上で36,000以上の店舗を展開しているということですが、その史上第1号店は1948年にルート66沿いの田舎町、カリフォルニア州サン・バーナーディーノで産声を上げました。

その誕生の地に建てられた記念博物館がルート66とマクドナルドの歴史を伝えています。そしてその背景にはルート66の伝統保護に情熱を燃やしたひとりの日系人の存在があります。

マクドナルド誕生の歴史

「ディックとマックのマクドナルド兄弟がこの地に世界初のマクドナルド店を開店した」とある image by:角谷剛

リチャード(ディック)とモーリス(マック)のマクドナルド兄弟によって1948年12月に開業されたレストランが、現在のマクドナルドに続くオリジナル店舗とされています(異説もあり)。

といっても、この店はそれより以前から存在し、元々はバーベキュー料理を提供するレストランでした。しかし、オーナーのマクドナルド兄弟はもっと手軽な食事を求める人たちのニーズに応えるため、メニューをハンバーガー、フライドポテト、ソフトドリンクに絞り込み、さらに注文から提供までの時間を大幅に短縮するセルフ・サービスのシステムを導入しました。これがファストフードの始まりとも言われています。

マクドナルド兄弟のハンバーガー店は繁盛していましたが、地元のみに留まっていました。そのビジネスモデルに感銘を受けたレイ・クロック氏が1954年にイリノイ州シカゴ郊外デスプレーンズに最初のフランチャイズ店を開店。マクドナルドの急成長が始まったのはそれからです。クロック氏は後にマクドナルドを買収し、オーナー兼経営最高責任者を務めました。マクドナルドの実質的な創業者と呼ばれることもあります。

クロック氏が開いた最初のフランチャイズ店も現在は博物館になっているとのこと。奇しくもルート66の起点と終点近くにマクドナルド誕生を記念した博物館があることになります。

私なりに整理するならば、カリフォルニア州サン・バーナーディーノにあった店が「元祖」、イリノイ州デスプレーンズにできた店を「初代」と呼んでよいと思います。マクドナルド兄弟が織田信長や豊臣秀吉なら、クロック氏は徳川家康です。全然、違うかもしれません。

オリジナル・マクドナルド記念博物館と印象的なルート66壁画

博物館正面 image by:角谷剛

さて、その「元祖」マクドナルドの記念博物館ですが、建物正面には現在も受け継がれているマクドナルドのロゴ、ハンバーガー1個15セントと書いた当時の看板、そしてルート66の標識が見えます。それだけではなく、建物の外壁はルート66をテーマにした壁画で四面が埋め尽くされています。


壁画の一部。ルート66の終点、サンタモニカ周辺を描いた部分 image by:角谷剛

実は私、この壁画を描いたアーティスト、フィル・イェ氏と知り合い、後にSNSでメッセージをやり取りする「お友達」になりました。私が壁画に見入っていると、「どこから来たの?」と話しかけてくれたのがイェ氏なのです。どうやら壁画は完成したわけではなく、現在も細かな手直しがされているようです。

フィル・イェ氏の公式ウェブサイト:https://www.wingedtiger.com/

ぼさぼさの長髪に絵具でシミだらけのジャケットを着たヒッピーのようなクセのある容貌。足元にはペンキの缶。正直に告白しますと、話しかけられた時は、うわあ、面倒くさいなあと思ったのですが、とてつもなく面白い人でした。気がついたら20分くらい立ち話をしていました。世界中のあちこちで壁画を描いているそうで、日本にも行ったことがあるよと話してくれました。

日本がバブル経済に沸いていた頃の昔話です。イェ氏が創造したアニメ・キャラクターに巨額のライセンス料を払うという申し出がある広告代理店からあったそうです。しかし、そのキャラクターが銃を構えるポーズを提案され、平和主義を身上とする氏はその申し出を断ったとのこと。本人から聞いただけなので、真偽のほどは分かりませんが、いかにもあの頃の日本であったような話だと思いませんか? ピース。

ひとりの日系人がルート66にかけた思い

博物館内入り口付近 image by:角谷剛

博物館内に一歩足を踏み入れると、この世界でもっとも有名なファストフードチェーンの歴史に関する資料や記念品で溢れかえっています。そのなかには日本マクドナルドに関する棚もあります。

ちなみに入場は無料。その代わりに施設運営資金のために寄付を募る募金箱が置いてあります。

入口で迎えてくれた案内人はとても愛想の良い初老の男性でした。この人は実はマクドナルドについては知らないことは何もないと思われるほど、まるで歴史家のように博識らしいのですが(他の人のブログにそう紹介されていました)、私はこれ以上話が長くなってはかなわんと思い、簡単に挨拶だけを交わして奥へ進みました。

この博物館を設立したのは日系3世のアルバート・オークラ氏です。氏は南カリフォルニアに展開するメキシコ料理チェーン『Juan Pollo』を創業したビジネスマンでしたが、同時にルート66の歴史を伝える活動に熱心なことでも知られていました。

オークラ氏がこの元祖マクドナルドの土地と建物を購入し、博物館を設立したのが1998年。さらに2005年にはルート66沿いにある「Amboy」という砂漠の中のゴーストタウンを丸ごと買い取って、かつて名物だったモーテル兼カフェを再建しました。氏は惜しくも2023年に亡くなりましたが、その情熱は子息のカイル氏に受け継がれています。

アルバート・オークラ氏 1951年12月3日〜2023年1月27日 image by:角谷剛

この博物館はロサンゼルス中心部から車で1時間ほどの場所にあります。マクドナルドが好きな人もそうでない人も、この小さな町から全世界へと広がっていった歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

  • First Original McDonald’s Museum
  • 1398 N E St, San Bernardino, CA 92405
  • (909) 515-0044
  • image by:角谷剛
  • ※掲載時の情報です。内容は変更になる可能性があります。
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角谷剛(かくたに・ごう) アメリカ・カリフォルニア在住。IT関連の会社員生活を25年送った後、趣味のスポーツがこうじてコーチ業に転身。米国公認ストレングス・コンディショニング・スペシャリスト(CSCS)、CrossFit Level 1 公認トレーナーの資格を持つほか、現在はカリフォルニア州アーバイン市TVT高校でクロスカントリー部監督を務める。また、カリフォルニア州コンコルディア大学にて、コーチング及びスポーツ経営学の修士を取得している。著書に『大谷翔平を語らないで語る2018年のメジャーリーグ Kindle版』、『大人の部活―クロスフィットにはまる日々』(デザインエッグ社)がある。

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