憧れのアメリカ横断「ルート66」の歴史と、終点付近で語り継がれる無名の日本人
アメリカで最も有名な道路と言えば「ルート66」ではないでしょうか。ジョン・スタインベックの名著『怒りの葡萄』では「ザ・マザー・ロード」という名称で呼ばれ、数多くのテレビ・シリーズや映画の舞台にもなりました。アメリカの歴史を象徴する遺産のひとつに数えることもできるでしょう。
ルート66は1926年に国道として指定され、1985年に廃線となりました。2026年には100周年を迎えます。
国道でなくなったとは言っても、道路自体や沿道の町が消えてしまったわけではありません。所々でルート66の看板や標識を見かけますし、その歴史を伝える史跡や博物館もいくつかあり、今でも古い時代のアメリカを想像することはできます。
ルート66終点に近い田舎町
ルート66の全長は約2,400マイル(約3,862㎞)。イリノイ州シカゴから西へ向かい、8つの州といくつもの小さな町を通り抜け、カリフォルニア州サンタモニカまで続きます。
もちろん、ルート66は一方通行ではありません。ですから逆方向に西から東へと走っても全然かまわないのですが、人々はルート66と聞けば、東から西へ向かう長い旅を想像するようです。
ジャス・ピアニスト兼シンガーソングライターのボビー・トゥループが1946年に作詞・作曲した名曲『ルート66』も「西に車で行くならルート66だよ」と歌っています。同年にナット・キング・コールがカバーしたことで有名になりました。その後も、チャック・ベリーやローリング・ストーンズなど、数多くの名だたるミュージシャンたちがこの曲をカバーしてきました。
この曲の歌詞には、「アマリロ、ギャラップ、ニューメキシコ、、」とルート66沿いの地名が次々に登場します。その最後に歌われる土地がサン・バーナーディーノ(カリフォルニア州)です。ここまで来ると、終点のサンタモニカまでもう少し。あと100kmも離れていません。
そのサン・バーナーディーノ郡内ランチョ・クカモンガ市にルート66の歴史を伝える小さな博物館があります。1915年に建てられ、1970年代まで営業していたガソリンスタンドの建物を改装したとのこと。正式名称は「The Historic Cucamonga Service Station」。すぐ近くにはオンタリオ国際空港があります。
クカモンガという奇妙な地名は「砂だらけの場所」を意味する北米先住民の言葉に由来します。ロサンゼルスのすぐ近くではあるのですが、その名の通り、砂漠地帯にある小さな町です。とくに目立った産業はなく、物流の中継地として多少名前が知られています。
「きつい旅だぜ お前に分かるかい」
博物館自体はごくごく小さな建物です。すぐ近くにあるスターバックスの方がきっと大きいでしょう。
中に入るとルート66に関する写真や資料が壁を埋め尽くすように展示されているほか、Tシャツ、ワッペン、マグカップといった土産物も販売されています。
博物館の公式ウェブサイトによると、この施設はルート66の地元遺産を保存することを目的とした非営利団体によって運営されていて、働いている人は全員がボランティアなのだそうです。
彼らは無給で訪問者を案内するだけではなく、施設の管理や修復、そして運営資金集めのイベントにも大きな役割を担っているとのこと。
私が訪れたときも、そうしたボランティアのひとりと思われる老人が椅子にちょこんと腰かけていました。ルート66のロゴが描かれたTシャツを着て、眼鏡をかけた物静かな男性でした。
私は社交的な性格ではありません。初対面の人と話すことはあまり得意ではなく、この老人とも最初のうちはなかなか会話が弾みませんでした。それでも、この人がいかにルート66とその歴史を愛していて、その保存に関わっていることを誇りとしているかは、言葉の端々から感じられました。
私が元々は日本から来たのだと教えると、「ここにはアメリカだけではなく世界中からルート66のファンがやって来る。日本人のサイクリストが立ち寄ったことだってあるよ」、とスマホを取り出して、1枚の写真を見せてくれました。
写真には博物館をバックに荷物を満載した自転車とひとりの日本人と見られる男性が満面の笑顔で写っていました。
「彼はわざわざ日本から自転車を持ってきて、シカゴからずっとルート66を走って、ここまでやってきたのだよ。自転車で、だよ。信じられるかい? お前にできるかい?」
そう誇らしげに話す老人は、まるで自分の子どもか孫のことを自慢しているようでした。
きつい旅だぜ、と歌った永ちゃん(矢沢永吉)の『トラベリン・バス』の一節にも「シカゴ、はるかロサンゼルスまで」とあります。バスに揺られる長旅も十分きついでしょうが、同じ距離を自転車で行くと言うのですから、それはさぞ大変だろうと私も思います。
その日本人サイクリスト、英語はあまり流暢ではなかったということですが、ルート66を走ることが夢だったと話していたとも、老人は嬉しそうに教えてくれました。
憧れのルート66を自転車で走破した旅人はサン・バーナーディーノで出会った老人を記憶しているでしょうか。この一文が目に留まり、「え、これって俺のことか」と思い出してくれたりしたら嬉しいのですが。
参考: 博物館公式ウェブサイト
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