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生涯で46回も引っ越し。江戸川乱歩の名作舞台を辿る東京地名散歩

【SCENE Ⅲ】お茶の水から麻布龍土町へ

木造家屋がけっこう残る六本木7丁目(旧麻布龍土町)

乱歩が作品に描いた犯罪現場で、最も多く登場するのは、浅草・上野・本郷界隈だとされます。

乱歩自身の池袋以前の引っ越しの足跡をみても、転居地はこれらの地域の周辺に集中していることがわかります。

やがて乱歩が池袋に引っ越した直後、『怪人二十面相』が書かれはじめたことはすでにご紹介しました。とくに怪人二十面相は、それまでの乱歩作品の犯罪者と違い、自らの犯行現場を次第に、青山・麻布・六本木・麹町などのお屋敷街へとシフトしていきます。

浅草・上野・本郷などの界隈が、近世末期から近代にかけ、成熟した市街地(盛り場)を形成していったのに対し、青山・麻布・六本木・麹町の界隈は、近代以降も閑静な武家屋敷街の雰囲気を残していました。

おまけに原っぱや雑木林などの空き地が、古いお屋敷街のそこここに散在し、怪人二十面相などが悪事を企てるのには恰好の地域性をもっていたのです。

名著『乱歩「東京地図」』の著者、冨田均さんは同書のなかで、「麻布は犯罪の起きそうな町」と書いています。これは麻布(などの旧武家屋敷街)の治安が特別に悪いという意味ではありません。

底知れないほどの奥深い陰や闇がそこここに満ち、その間にぽっかりと人気ない空閑地が隠れていたりする、大正・昭和初期の青山・麻布・六本木(龍土町)などの界隈には、怪人二十面相など、犯罪に対する異常な趣味・嗜癖をもつ者たちの想像力を刺激する、独特の空間性があったということなのでしょう。

かくして、本郷や上野、浅草に出るのに便利だった御茶ノ水の開化アパートから、明智小五郎も怪人二十面相などの活躍する新たな犯罪現場の宝庫(青山・麻布・六本木・麹町など)の近くへ、つまり再び職住接近好立地の地を求め、麻布龍土町(現港区六本木7丁目界隈)へ、さらには麹町(現千代田区三番町界隈)へと引っ越していきます。       

六本木7丁目から眺める六本木ヒルズは下町的味わい

龍土町の地名は、江戸時代初期に生まれたとされます。明治時代初期には、麻布龍土六本木町の地名も使われるようになりました。


六本木という地名も江戸時代から使わるようになりましたが、当初は現在の六本木交差点付近の狭い範囲内だったようです。

やがて麻布龍土六本木町のほか、飯倉六本木町などのバリエーションを含め広範囲に使われるようになっていきますが、そもそもの由来としては、付近に六本の古木があったからとする説や、木にまつわる姓をもつ大名(上杉、高木、青木など)6家が付近に屋敷を持っていたからというような、割と牧歌的な説が有力とされています。

また旧龍土町の界隈は、江戸時代以前は芝愛宕下付近の海を仕事場とする漁師たちが多く住み、猟人村とも称されていたそうです。そのリョウジンがリュウドへと転化し、猟人から龍土へと変遷していったのは江戸時代初期のこと。その頃にはすでに漁師の姿はなく、農業を生業とする人たちが多く住むようになっていたそうです。

このようにして、昔から使われてきた龍土町をはじめ、材木町、鳥居坂町、飯倉片町などの味わいある旧町名が整理され、最終的に現在の六本木1~7丁目に落ち着いたのは、1967(昭和42)年のことでした。         

旧郵政省官舎跡(六本木7丁目)に造られた六本木西公園も龍土町時代の名残

さて明智小五郎が、麻布龍土町へと事務所兼住居を移すのは1934(昭和9)年のことです。前述したように、この年は乱歩が終の棲家となる池袋に引っ越しをしたのと同じ年でもあり、明智探偵事務所が引っ越した先は、初の戸建て住宅でした。

46回もの引っ越し歴の最後に池袋にたどり着いた乱歩には、当初は借家だったとはいえ、この池袋の土蔵付きの新居に「これから長く住みそうだ」というような、何らかの手応えや予感があったのではないかと推測されます。

明智小五郎が妻(御茶ノ水の開化アパート時代に、小林少年とともに助手を務めていた文代さんと結婚)も得て、麻布龍土町の戸建て住宅に事務所兼住居を移した背景には、私生活における乱歩の「落ち着き」が影響していた、とも考えられるのではないでしょうか。

ちなみに明智小五郎の麻布龍土町の探偵事務所兼住居が初めて登場する作品は『人間豹』(1934年=昭和9年)です。『怪人二十面相』が発表されるのは2年後であり、この作品に怪人二十面相は出てきません。

代わりに恩田という名の、乱歩作品に登場する悪役のなかでもかなり強烈、かつ猟奇的、残虐なキャラクターが登場するため、コアな乱歩の愛読者には独特の人気があるようです。

現在の六本木7丁目の裏通りを歩いていると、昭和の雰囲気が意外に濃厚に残っていることに気づきます。古い木造家屋が比較的多く、華やかな表通りとは違った、昔からの生活感のようなものがそこかしこに感じられるのです。

最古のフランス料理店「龍土軒」の誇りを体現する看板(西麻布1丁目)

龍土町あるいは龍土という名称は、昭和に建てられたと思われるマンションの名称や、地元消防団の倉庫、飲食店の店名などに今も散見されます。なかでも昔の龍土町の歴史を背負って健在なのが、1900(明治33)年創業のフランス料理店龍土軒」です。

西麻布(旧霞町)交差点はかつて都電がひっきりなしに走っていた

麻布龍土町12番地(現六本木7丁目)に開店した龍土軒は、麻布龍土町の住居表示が消えた2年後の1969(昭和44)年、麻布霞町(現西麻布1丁目)に引っ越します。かつては明治・大正・昭和の名だたる文人たちが集うサロンでもあったこの店に、乱歩が会合や個人的な食事で立ち寄った可能性も、低くありません。

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