赤字の酪農家を救うため立ち上がった業界の異端児「よつ葉」の挑戦
酪農の危機を乗り越えろ~生産者を支える驚きサポート
よつ葉乳業の登場で変わった北海道の酪農の世界。しかし今も、現実は決して甘くない。
鹿追町の山田清美さんは、4代続いた牧場を今年の春、閉めた。牛舎が老朽化したが、建て替えられなかった。「100頭飼っていて、建て替えるなら100頭の建物ではダメなんです。200頭を飼育しなければ返済ができない。続けていくのは難しい」と言う。
頭数を増やすのは体力的に無理。一緒に酪農をしていた息子さんは会社勤めを始めたという。山田さんだけではない。北海道の酪農家は減り続けていて、毎年200軒が離農している。よつ葉乳業にとっても大きな問題だ。
「乳業メーカーとすると、このままいくと大変な状況です。ただ『やろう』という若手の生産者もいますから、それを支援するのが我々の役目だと思います」(有田)
そこでよつ葉乳業は、3年前から若手酪農家の研修事業を始めた。一歩進んだ海外のやり方を見せ、意識改革を図り、新時代の酪農家を育てようとしている。
音更町の木村牧場で働く木村祐輔さん(36)は、よつ葉乳業の海外研修を受け、「自分の牧場を大きくするという夢を持って経営している若手の方もいらっしゃって、刺激になりました」と言う。その木村さんは借金をして3億円のハイテク牛舎を作った。
デンマーク製の機械が、自動的に餌が積み込まれると動き出す。牛の前まで来ると、餌を給仕。1日6回、決まった量を配ってくれる自動エサやり機だ。大きなお掃除ロボットのような機械は、食べ散らかした餌を牛の方に寄せてくれる。
搾乳の時間には驚きの機械が活躍。牛が定位置に入ったら大きな機械が始動。センサーが乳首の位置を探し出し、自動で搾乳してくれる。この体制なら牛を増やしても家族だけでやっていける。浮いた人件費で借金も返済できると言う。
「まずはこの牛舎をいっぱいにして、120頭の乳牛で軌道に乗せたいと考えています」(木村さん)
よつ葉の力を借りて新たなビジネスを展開させた牧場もある。鹿追町東瓜幕協和生産組合。清水勇輝さん(34)、伸哉さん(33)の兄弟がよつ葉乳業の支援を受けてやっているのは、オリジナル乳製品の加工販売だ。
搾りたての生乳で作るヨーグルト「草原のヨーグルトでーでーぽっぽ」(560円)は、成分調整をしていないので、上の方には甘い生クリームの層ができている。酸っぱすぎず、砂糖を加えなくても美味しいと言う。他にも飲むヨーグルトなど、オリジナル商品を開発した。ただし沢山は作れない。そこで力を貸してくれたのがよつ葉乳業。販路を持たない生産者の商品を買い取ってよつ葉の販売ルートで売る、代理販売で支援しているのだ。
「こんな小ロットでお客様に届けられるのは、よつ葉さんあってのことです」(清水さん)
よつ葉乳業と手を組んでから、毎年2割ずつ売り上げが伸びていると言う。
「これからどんどん加工する量を増やし、日本全国、世界にも届けたいと思います。楽しいですね。こんな幸せなことはないです」
酪農でも夢を見ることはできるはず。よつ葉乳業は若者とともに、酪農の未来を作ろうとしている。
~村上龍の編集後記~
日本の乳業は、北海道の開発とほぼ同時期に興った。わたしは「よつ葉」のバターが好きだ。こくがあるのに、どこか味が優しく、脂肪分をあまり感じさせない。
「よつ葉」は歴史的に、「酪農家に寄り添ってきた」と言われる。だが、その表現は充分ではない。
当時の大手乳業との壮絶な確執を経て誕生したときから、「よつ葉」と「酪農家」は単なるメーカーと取引先ではなかった。「運命共同体」だった。
だから両者は、お互いのため、消費者のためを思い全力を尽くし、それが「どこか優しい味」を生んでいるのだと思う。
<出演者略歴>
有田真(ありた・まこと)1955年、北海道生まれ。岩手大学卒業。1981年、北海道農協乳業(現よつ葉乳業)入社。2006年、営業本部乳製品統括部長。2010年、取締役営業本部長。2015年、代表取締役社長に就任。
source:テレビ東京「カンブリア宮殿」
image by: よつ葉乳業公式ホームページ
※本記事はMAG2 NEWSに掲載された記事です(2017年12月12日)