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予約の取れない人気宿「箱根吟遊」に感じた、村上春樹の世界観

冷泉 彰彦
冷泉 彰彦
2018/03/15

近年、訪日外国人観光客が増え続け中で、宿泊先に求められることが多様化し初めています。米国在住の作家・冷泉彰彦さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』の中で、箱根にある人気旅館を取り上げ、「素晴らしい仕掛けとマジックに満ちた名旅館」と賞賛。と同時に、村上春樹氏のベストラー作品『騎士団長殺し』の世界観と共通する点があると指摘しています。

 

噂の吟遊マジックの正体

温泉宿の口コミブロガーというのには、ちょっと憧れます。というのはこのジャンルの書き方というのは、まだスタイルが確立していないので何かやってみたいという気持ちが「コソッと」あるんですね。

例えば、グルメブロガーというジャンルは「食べログ」だけでも猛烈な人数と、猛烈なクオリティがあるわけですが、この「ホテル・宿」というジャンルは難しいんです。

ビジネス寄りに「成功例」という紹介をやるとPR臭がしてしまいますし、かといって「ダメ出し」ばかりでもイヤミになります。それ以前の問題として、何よりも軍資金が必要ですし、時間の問題もあります。ですから、「憧れる」と言っても、半分は全くの冗談にすぎません。

そんなことを言いながら、今回は一軒の宿屋さんについて試しに書いてみよというのには2つ理由があります。

1つは、インバウンド向けの「おもてなし」という意味で今後の宿泊のコンセプトを考えて行く上でいい例になるんじゃないかということであり、もう1つは、ベストセラーになった村上春樹氏の『騎士団長殺し』という小説に秘められた「謎」を解く鍵があると思ったからです。

宿屋さんの名前は、「箱根吟遊」といって箱根の宮ノ下温泉で1950年代から営業しておられた武蔵野という宿屋さんが2002年に完全に建て替わる形でリニューアルしたものです。稼働率99%以上という成功物語は、余りにも有名ですが、とりあえず仕掛人である武蔵野旅館のオーナー大田氏が語った資料がありますので、これをご覧になれば、写真共々イメージをつかめるのではと思います。

箱根吟遊のフォトライブラリー

早川渓谷の急な斜面に張り付くように建てられた全体は、隅々までアイディアが満載であり、チェックインの午後3時から翌日のチェックアウトまで、完全に非日常的な時間を提供してくれるのは間違いありません予約の取れない宿というのは本当であり、そして多くのブログなどに書かれているその理由も本当でした。

さて、ここからが本論なのですが、まずこの「吟遊」で感じたのは、「日本旅館」というビジネスモデルに関する可能性です。現在、日本の観光業界では、「日本旅館における一泊二食込料金の縛り」をどうするかという問題が議論になっています。

今、日本の観光業界の主要なマーケットであるインバウンド、つまり訪日外国人市場は「年間4000万」という目標が視野に入ってくるほどの拡大をしているわけです。そこで主要な観光地では、宿泊施設の不足が指摘されています。民泊などが規制緩和に先行した既成事実化を見せているのも、そうしたトレンドがあるからです。

ですが、その一方で日本旅館の稼働率というのは、ホテルより低いという実態があります。なぜかと言うと、割高感があると言うこともありますが、同時に、「旅館のセットメニュー」として「懐石」風の料理を押し付けられることを嫌うということがあるわけです。

ですから、「旅館も食事抜きの料金設定をせよ」とか「温泉街に洋風や中華を含む各国料理店を」と言う掛け声が起きているのです。ですが、大規模なチェーンはともかく、料飲売り上げに頼る古典的な旅館の場合は、対応が難しいし、仮にやってしまうと「二食付き」のコスト構造が変わってしまう恐怖もあるのでしょう。

その点で言えば、この「吟遊」は「二食付き」という枠を維持しながら、ギリギリのところでインバウンド対応を試行錯誤していると言う点で、好感が持てました。一つは、朝食に洋食のチョイスを用意していることです。そして、夕食の場合は、「純和風」に傾かない、一種の「多国籍おもてなし料理」と言うような展開を模索しています。

多くの日本のお客さんからは「味が後一歩だけ足りない」とか「出汁の効きが弱い」といった口コミが出ていますが、これも「国内需要とインバウンド特性」の最小公倍数を狙ったと言うことで考えれば、十分に理解ができると思います。

もう一つ、この「吟遊」で気づいたのは、村上春樹さんとの関連での「もしかしたら」という仮説です。

村上春樹さんの『騎士団長殺し』というのは、私には十分傑作に思える小説ですが、その中の重要なモチーフとして「谷のこちら側から向こう側を見る」というイメージがあります。このモチーフは、何度も何度も繰り返されており、特に作品のクライマックスには重要な意味を持ってくるような設計になっています。

この小説の舞台は、神奈川県の小田原市で、その近郊に「谷」があり、その「こちら側」に主人公の拠点があり、その「谷」の向こう側にもう一つの家があって、「こちら」から「あちら」を見るということの意味合いがある設定です。

小説からは、何となく酒匂川沿いの風土のようにも感じられるのですが、酒匂川の谷はあまりにも広くて「向こう側を見渡す」という場所は限られます。

ところが、この「吟遊」という旅館のある早川の谷は、はるかに深く、狭く、まさに対岸を見渡すような地形になっているのです。そして、この「吟遊」こそ、その一方の崖に張り付いて、対岸を見渡す、その展望の素晴らしさを最大の売りにしているわけです。

この「もしかしたら」というのは、村上さんがこの「吟遊」からの景色にインスパイアされたという可能性です。勿論、ただでさえ「予約の取れない」ことで有名な旅館ですから、この種の口コミが大規模に流れては良くないのですが、話のタネとして、そして全くの推測として考えててみました。

そう考えると『騎士団長殺し』に繰り返し出てくる「谷の向こうを見渡す」というモチーフは、「吟遊」のテラスから、あるいは客室からの絶景にイメージ的に合致するのです。

何れにしても、素晴らしい仕掛けとマジックに満ちた名旅館であることは間違いありません。もう少し予約が取りやすいといいのですが、これは無理というものでしょう。

 

箱根吟遊

神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下100−1
Tel: 0460-82-3355

 

image by:  bundit jonwises / Shutterstock.com

『冷泉彰彦のプリンストン通信』/東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは毎月第1~第4火曜日配信。

予約の取れない人気宿「箱根吟遊」に感じた、村上春樹の世界観
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