西舞鶴の漁師町に佇む総二階の木造レトロ銭湯「日の出湯」へ

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2019/03/01

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西舞鶴駅から自転車で15分。「舞鶴のベニス」とも称される古い漁師町・吉原地区にレトロな木造の銭湯がありました。五老ケ岳の伏流水を汲み上げたお湯は肌当たり最高ですよ。

ここは西舞鶴のベニス? 

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西舞鶴駅から自転車で15分。伊佐津川を渡ると雰囲気のよい街並みが現れます。ここが西舞鶴の漁師町・吉原地区。南北に直線の道路が数本走り、中央を水戸堀が流れ、両脇に舟屋が立ち並ぶ景色は風情たっぷりです。

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ここ、吉原地区ができたのは今から300年前。それまで、ここの人々は伊佐津川の西側で漁業を営んでいましたが、享保12(1727)年、田辺城下で大火が起こった際、藩の命令で現在の地に移住させられました。

町割りはその当時のまま。今も細い通りを歩けば江戸時代の気配が感じられます。

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紅白の暖簾がなんとも良い感じ

吉原地区は西吉原と東吉原に別れていて、その真ん中に立つのが本日の目的である「日の出湯」です。

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創業は明治の終わり頃とのことですが、「詳しい年代は分からないんです。今でも町の人達は、“日の出湯に行く”とは言わずに“吉田屋へ行く”っていうんですよ。

というのは元々、吉田さんという方が営んでおられたからなんです」とおっしゃるのは、3代目の息子さんである高橋一郎さん(70歳。ちなみに3代目は現役バリバリの女将さん)。それを大正時代に高橋さんのお祖父さんが受け継いだのだとか。

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内部は所々、修理していますが建物は基本的に当時のまま。左のこの格子は外せるそうですよ

ところで、この吉原地区は海がすぐ横にあるのに3mも掘れば良質な地下水が出る地。「かつて、うちの東側と西側に共同の水組み場があったそうで、恐らくそれでこの場所で銭湯をするようになったのではないかなと思います。

というのも日の出湯は、元々は町で作った共同銭湯なんですよ」。温泉の共同浴場は聞いたことがありますが、町の共同銭湯というのは初めて聞きました!


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いざ、入ってみましょう。入口には年期の入った扇形の看板が。確か関西は右が女湯で左が男湯だったような気がしたのですが(関東は逆)、こちらは右が男湯で左が男湯なんですね~。

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