小学校発祥の地が京都ってご存知?-意外に知らない京都初の○○シリーズ第1弾-
-地域が運営する小学校、資金はどうやって集めたんですか?
和崎 学校建設の費用は豪商たちの寄付と京都府からの融資です。
運営費については、「竈金(かまどきん)」と呼ばれる出資金を集めました。番組内のすべての戸(竈)が定められた金額を運営費として金1分(現在の2500円)出します。出資できない戸は番組内で肩代わりしてもらい、貧しい家は竈金が免除となりました。
さらには資金運営のため「小学校会社」という学校経費を補う役割を果たす金融機関もつくりますが、全体的に小学校会社は運営がうまくいかず長続きしなかったようですね。
-番組小学校の図面が残っているんですね?1階と2階があったんですか~。
和崎 はい。番組小学校が誕生する前に京都府が町人からの意見をもとに作った平面図が残ってますよ。よく見ると今の小学校にはない機能がたくさんあります。
番組小学校は地域のコミュニティセンターとして京都の復興を担っていたんです。そのため、町会所はもちろんのこと、徴税、戸籍管理、交番、府兵駐屯所、消防などと多機能でした。
また、火事をいち早く発見し住民に知らせる「火の見櫓」を備えていたことから、地域のシンボルでもあり、学区で一番高い建物でした。
―そもそも番組小学校ができるまではどういう教育だったのでしょう?
和崎 江戸後期以降、子どもたちは寺子屋へ通いまず「書き」を、次いで「読み」をメインに習っていました。京都は商人や職人がたくさん住むまちだったので、将来仕事をする上で必要だったことから子どもたちを熱心に通わせていたのでしょう。「そろばん」を習う子も多かったと思います。
-番組小学校になって大きく勉強が変わったことってありますか?
和崎 明治4(1871)年になると京都独自の小学課業表というカリキュラムができますが、基本「読み・書き・そろばん」を習うのでベースは変わりません。
学年制ではなく、等級制で進級試験に受かった生徒だけが進級していく制度で、12歳以上の子どもも通うことができました。
明治23(1890)年の卒業写真を見ると年齢がバラバラだったことがわかりますね。当時は4年で卒業ですが、明らかに10歳以上の子もいます。
服装に注目してください、男女ともにとてもオメカシしてます。写真の普及していなかった時代、一生に1枚の写真が卒業写真。実はお見合い写真としても使われていたんですよ~。
-ぎょえええ~~~!?お見合い写真とは驚きました!(笑)ところで京都に小学校を作ろう!とアイデアを出したのは誰ですか?
和崎 京都にあった寺子屋の師匠・西谷良圃(にしたにりょうほ)先生が福沢諭吉の本『西洋事情 初編』に書かれているような、新しい時代にふさわしい学区制小学校を作りたいと考えました。
-福沢諭吉からヒントを得たとは!一万円札を見る目が変わりました。(笑)
和崎 なんと福沢諭吉、番組小学校の視察にわざわざ京都まで来て、大絶賛したと記録に残ってますよ。
-慶應義塾大学を創設した超一流・教育者から褒められるなんて!すごい底力ですね。
超難読!!なのに地域に愛される校名
-京都の小学校といえば、読み方が難しいですよね・・・。由来が知りたいです。
和崎 番組小学校は当初、○○小学校という校名がなく、番号で呼んでいたんです。
教育政策のめまぐるしい変化により、その都度小学校の番号も変更されましたが、一方で政策が変わっても変わらない名前・雅号のようなものをそれぞれの小学校で使うようになりました。一例をご紹介しますね。
【学区の通り名に由来】
日本で最初に建設された小学校「柳池(りゅうち)小」(現在は京都御池中)は、学区の通り名である柳馬場通と御池通から1文字ずつとった名前です。
【学区の歴史的地名に由来】
西陣(にしじん)小、六原(ろくはら)小、平安時代の坊名に由来する淳風(じゅんぷう)小、銅駝(どうだ)小などです。
【中国の昔の本、漢籍から当時の京都府知事・植村正直などが命名】
立誠(りっせい)小、日彰(にっしょう)小、成徳(せいとく)小などです。
-やっとスッキリしました。(笑)さきほどから「学区」って出てきますが、「校区」とは違うんですか?京都市中心部ならではですよね?
和崎 一般的に学区というと、通学区のことを指しますよね。しかし京都市の中心部では、通学区のことを校区と呼び、学区は番組をルーツにもつ自治の単位をあらわすんですよ。なので学校が統合されても学区は統合されないんです。
昭和16(1941)年に学区制度は廃止。正式な自治体ではなくなりますが、現在でも学区ごとに防災などで実質的な自治機能を持ち続けていて、区民運動会などのイベントが閉校した元学校のグランドで行われているところもあります。
元校舎をリノベ!京都で人気のSNS映え♥するレトロな観光スポット
-学区名が150年続くとは…愛着がある証ですね。建物も立派ですし。
和崎 巨額の私財を投じてつくられた学校建築は文化遺産でもありますからね。現在は少子高齢化により統廃合が進むなか、閉校した小学校をリノベーションし再利用した施設が続々と誕生してますね。
―京都の人気観光スポットとしても話題を呼んでいますね。
和崎 当館、京都市学校歴史博物館もその一つで、元・開智小でした。玄関の車寄せは京都市最古の学校建築なんですよ~。ほかには、元・龍池(たついけ)小だった京都国際マンガミュージアムや、元・明倫(めいりん)小だった京都芸術センターもあります。
-元・明倫小には京都の老舗カフェも入っていて、カフェ巡りを楽しむ女子たちにも人気ですよね♥とってもノスタルジックでわたしも大好きです。さまざまな地域の元校舎を活用した地域活性化プロジェクトによって、地域住民の誇り、心のよりどころとなる番組小学校は形を変えて次の世代へと継承されているんですね。
□■Information□■
075-344-1305
9:00~17:00(入館は16:30まで)
水曜休(休日の場合は翌平日)
大人200円、小・中・高校生100円、小学生未満無料
阪急電車「河原町駅」から徒歩10分
企画展・イベント
新収蔵品展「京都の学校史をたどる――中学校・高等学校編――」|2011年度以降に個人から寄贈いただいた学校史料を展示します|京都市学校歴史博物館
関連リンク
明治150年 京都のキセキ – 明治150年・京都の奇跡プロジェクト
参考:和崎光太郎さんの著書『学びやタイムスリップ 近代京都の学校史・美術史』と講演録「学校史とは何か」
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