奈良と鎌倉、もうひとつは?「日本三大仏」がある意外な県
日本三大仏はどこになる?
このなかで日本三大仏の残り一枠に入る候補としては、どの大仏が最もふさわしいのでしょうか。単純にサイズだけを見ると、岐阜大仏が一歩先んじています。大仏殿にぎゅうぎゅうに押し込められた座像はかなりのインパクトで、GoogleのCMでも日本三大仏として紹介されていました。
歴史は1832年までさかのぼり、奈良や鎌倉に比べると圧倒的に若いですが、3番目に名乗り出るには最有力といえるかもしれませんね。ただ、銅で鋳造されていない点に、物足りなさを感じる人も居るかもしれません。
次いで、兵庫大仏にも説得力があります。大仏(初代)の歴史は1891年、明治時代までさかのぼります。近所の人たちに銅鏡などの所持品を片っ端から寄進してもらい、誕生した背景があるんだとか。
残念ながら太平洋戦争時、軍に金属類回収令で供出され、武器にされてしまいました。
しかし、溶かされた初代大仏の一部が戦後に発見されたとかで、初代建立から100年が経過した1991年に再建されたとき、初代の一部も2代目の大仏に混ぜ込まれていると聞きます。
歴史が浅すぎるという批判にも、一応の反論はあるみたいですね。
最後の高岡大仏については、ほかの大仏と比べるとサイズ的にも小さく、歴史も浅めです。現存する青銅の大仏は1933年の完成なので、100年も経過していないのです。
ただ、青銅で作られる前に木造の大仏として存在した歴史があり、それこそ初代の木像大仏までさかのぼれば、1221年が歴史のスタート地点です。
初代の木造大仏は江戸初期まで存在し、消失と再建を繰り返して、「二度と燃えないように」と1933年に青銅の大仏が誕生します。
しかも、高岡は日本屈指の銅器の生産地です。全国の寺院にある釣り鐘などは、ほぼ高岡で作られています。筆者が富山に住んでいるから応援するわけではありませんが、高岡の銅器は伝統的工芸品に指定されており、産業としてのすそ野の広さもほかを圧倒しています。
そうした背景があるからこそ、高岡大仏が日本三大仏を自認しても、独特の説得力を持つのです。
以上、いかがでしょうか。どの大仏にも、しっかりとした言い分があるとわかりますね。日本三大仏という考え方自体にも、はっきりとした定義があるわけではありませんし、こうなると長い時間をかけて日本三大仏が国民の総意として定まっていくまで、待つ意外に結論は下せなさそうです。
そもそも信仰のよりどころである大仏が、日本三大仏の残り一枠を巡って競わされている時点で、何かが間違っているのかもしれません。各大仏に足を運ぶと、浄財を投げ入れ、手を合わせて何事かを祈念する参拝者の姿を見かけます。
その意味で当面の議論を終結させるべく、大仏は日本五大仏と5つにくくってしまえば、万事がうまく収まるのかもしれません。
- 参考
- 神戸淳吉著『大仏建立物語』(小峰書店)
- 歴史教育者協議会『世界と出会う日本の歴史(1)大仏の元祖はインド』(ほるぷ出版)
- 大石学監修『ビジュアル図鑑日本の歴史』(学研プラス)
- やまたちばな『高岡古城公園・高岡大仏ガイド』
- image by:坂本正敬
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