なぜ東京・月島は「もんじゃ」のまちになったのか?その歴史と由来

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2019/11/20

お好み焼きは明治時代の人が、洋食を文字焼で再現したパロディ

image by:MAHATHIR MOHD YASIN / Shutterstock.com

ただ、黒みつやあんこが、文字焼の基本的な味つけになります。お酒には全くあいません。そこで、お好み焼きで使っていた具材、例えばキャベツ、干しエビ、牛肉などを混ぜ、お酒にマッチする味わいにしたとも考えられます。

そもそもお好み焼き自体も、もともとは明治時代の後半に流行した憧れの洋食(西洋料理を日本人向けに作り替えたカツレツやフライ、ビフテキ、オムレツなど)なのだとか。

それらを、ある種のパロディとして、洋食の材料や調味料を使って文字焼をベースに再現したところから始まっていると、『お好み焼きの物語』には詳しく書かれています。

image by:photoAC

明治、大正、昭和と時代が過ぎると、お好み焼きは当然、ひとつの料理として地位を確立していきます。

すると今度は、ある種のパロディで生まれたお好み焼きという料理を、もう一度パロディとして昭和の人たちが文字焼で作ってみたのかもしれません。

結果として、お好み焼きのパロディメニューが生まれ、その食事が月島周辺で人気になり、「これは商売になる」と、月島で初めてもんじゃ焼きのお店、好美屋が生まれたという考え方もできますよね。

月島は第二次世界大戦で空襲を受けなかったエリア。古い資料も残っているはず。

何か仮説を裏付ける資料(あるいは想像を真っ向から否定する事実)が、眠っているはずです。追加の調査を、お待ちください。

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翻訳家・ライター・編集者。成城大学文芸学部芸術学科卒。富山在住。主な訳書『クールジャパン一般常識』、新著(共著)『いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日』。北陸のWebメディア『HOKUROKU』創刊編集長。WebsiteTwitter 

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