「受験は神頼みじゃあかんねん!」疲弊した私が母と交わしたあの日の言葉
努力は、結果だけじゃない。過程も糧になるんだ
そんな思いで迎えた、受験当日。受験地は京都の南の方だったのですが、ちょうど寒波がやってきて、雪が積もるような寒い日でした。
「いらん」と口では言っていた私。でも当日のバッグには、お守りの五角形の鉛筆と、母がメッセージを書いてくれたキットカットをしっかりと入れていたのです。
そして、全科目の試験が無事終了。迎えに来てくれた母に対して、「ありがとう」の言葉の代わりにこう言いました。
「これで不合格でも後悔はないとおもう。それくらい100%やったって言い切れる。きょうの“でき”もやし、これまでの勉強も」
本心からの言葉です。この言葉を聞いた母は、車を運転しながら泣いていました。
「私はあんたがどれくらいやってきたか知ってる。だからその言葉があんたの口から出てきたことは、何よりも嬉しい。辛かったのに、よう頑張ったな」
まだ結果が出たわけでもないのに、なんだかこれまでの“時間”が頭の中を一瞬でかけめぐって、私も母の横で涙を堪えるのに必死でした。
あの、わけもわからない漠然とした不安や、不合格への恐怖、苛立ち。
“大学受験”というものは、今後どんな出来事とも引き換えることのできない“経験”です。合格しようとしまいと、それを経験した人には等しく残っていくものだと思います。
そしてそれは、数年後、数十年後の自分を形成する大きな礎になっているものです。たった数カ月先が真っ暗で見えない恐ろしさを知っている人間は、たくましい。私はそう思います。
そうそう。受験の結果は、ギリギリ合格。合格最低点+5点。あと一問でも間違えていたら、不合格という奇跡の滑り込み合格です。
この5点は、母がひとりでお参りに行ってくれたときに、北野天満宮の天神さんがくれたものかもしれないし、夜中にこっそりと“お菓子ボックス”から、合格デザインのクッキーを食べたからかもしれません。
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