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福知山城の5つの魅力を徹底解剖 墓石などを使った石垣とは?

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2021/03/13

『麒麟がくる』は終わってしまいましたが、ドラマからもわかるように明智光秀はその生涯でいくつかのお城を築いています。その一つが京都府の北、福知山市に立つ福知山城。お城ファンにも人気の高いお城です。

光秀が丹波を平定した折に築城し、何もなかった由良川の河原に新たな城下町を築きました。福知山音頭にある「ドッコイセ」という掛け声は、このお城建設のときに領民が資材を運ぶ掛け声がはじまりといわれ、光秀は福知山市民から良君として慕われています。

今回は光秀の築城当時から残る城の石垣と北近畿唯一の天守閣を持つ福知山城の魅力をご紹介します。

福知山城とは

image by: Google map

福知山城があるのはJR・京都丹後鉄道「福知山駅」から東へ約15分歩いたところ。由良川のすぐ側に立っています。

福知山城の模型

市街地を一望する福知山盆地の中央、標高約40mの台地に立ち「竜ヶ城(たつがじょう)」の別名があります。立派な天守閣は昭和の再建で、2017年に「続日本100名城」にも選ばれました。

動画で福知山城を見よう!

動画内容
◎見る角度によって様々な表情を見せる外観
◎石垣に使用された500個以上の「転用石」
◎城の本丸にある井戸としては日本一深い「豊磐井」
◎場内に展示されている光秀の書状
◎福知山の市街地を一望できる天守閣 など 福知山城の魅力をたっぷり詰まっています。

福知山城の歴史

福知山城ができたのは天正7(1579)年ごろ。丹波を平定した光秀が、さらなる西国攻略に向けた拠点の一つとして横山城とよばれた山城を拡張して石垣の天守台と天守閣を持つ城を築き、娘婿の秀満を城代としました。

本能寺の変が起きるのはその3年後で、その後は羽柴秀長などが、関ヶ原の合戦のあとは有馬豊氏らが城主となりました。寛文9(1669)年からは朽木氏が城主となり明治維新まで約200年、13代にわたり福知山を治めました。

明覚寺

明治6(1873)年の廃城令により残念ながら石垣と銅門番所(あかがねもんばんしょ)以外はすべて解体。二ノ丸があった台地は削り取られ、城門は観瀧寺、正眼寺、法鷲寺、明覚寺の山門として移築され、それらは福知山市の重要資料に指定されています。


現在の天守閣は「瓦一枚運動」など市民の熱意で昭和61(1986)年に再建されたもので、江戸時代初期天守閣の様式を忠実に再現した3層4階の望楼型。天守閣の高さは鯱までいれると約20mもあります。

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