福知山城の5つの魅力を徹底解剖 墓石などを使った石垣とは?
福知山城の見どころ
その一 なんといっても転用石を用いた石垣!
福知山城の見どころは、なんといっても光秀が築城した当時の面影を伝える、この石垣。よく見ると野面積の石にまじって五輪塔や墓石、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、石臼まで入っています!
これは転用石といって織田信長に関わる城に共通するもの。諸説ありますが旧勢力の象徴である寺院から石を集め石垣にすることで支配を示そうとしたのではないかと言われていますが、光秀は石を集めただけでなく代用の石も配ったというエピソードも残っています。
また、当時は石垣用の石の流通が整備されておらず、石垣用の石が早急に手に入らなかったから周囲の石を集めたのではないかとも言われています。
銅門番所の横に転用石が展示されていますが、転用石は石垣の中に181個、天守台内部から出土したものが321個で合計502個もあるのだとか!
そしてちょっと引いて石垣を見ると斜めに線が入っています。発掘調査により天守台の裏を突き抜けて反対側(東側)まで伸びていることが判明しました。
光秀時代の天守閣はもっと小さかったそうなので、おそらく右側の石垣が光秀時代に積まれたもの、左側が後で積み増しされたのではないかといわれています。
その二 なかなかニクイ仕掛けの石落・狭間
お城好きなかたにはお馴染み、城防御のために作られる石落(いしおとし)と狭間(さま)。石落とは建物や塀の床の一部に設けた穴。ここから石を落としたり鉄砲を放ち、登ってこようとする敵を攻撃しました。
通常、石落は1階の屋根下にあることが多いのですが、福知山城では2階の隅に配しているので、「石落はないな」と思って石垣を登ろうと思ったら上から石が降ってくるという、なかなかニクイ仕掛けになっています。
狭間は天守や櫓、塀などに開けられた鉄砲や弓を射るための穴。用途により穴の形は異なり、福知山城では四角が弓、三角が鉄砲の狭間になっています。
その三 取り壊しを逃れた銅門番所
廃城令で取り壊しを逃れた建物の一つ、銅門(あかがね)番所。かつては二ノ丸の登城口、現在の市役所の東側にありましたが大正年間に本丸に移されました。城の歴史を物語る貴重な建物です。
その四 最上階・望楼からの眺め
特に北側の窓から見る景色が最高。遠く山並みが見渡せ、酒呑童子で知られる大江山や織田信長の『信長公記』にも登場する鬼ヶ城が一望できます。また、蛇行して流れる由良川や城下街もよく見えますよ。
その五 日本一の深さを誇る井戸
天守閣入口前にあるのが豊磐(とよいわ)の井戸。深さが50mもあり城郭の本丸内の井戸としては日本一の深さ。城の隣を流れる由良川の川底より深いのだそうです。
井戸の名前は江戸時代の城主であった朽木稙昌(たねまさ)の父、稙綱(たねつな)の神号「豊磐稙綱命」にちなんだものです。ちなみに、この井戸には抜け穴があり、二ノ丸にあった横穴に通じているという言い伝えがあるんですって。