日本人の常識が信頼を壊す…?文化の違いを感じたアメリカ人にとってのビジネスマナー
世界各国には、日本では考えられない常識や文化が多く存在します。旅先やビジネスにおいて、カルチャーショックを経験した人も少なくないでしょう。
今回ご紹介したいのは、メルマガ『心をつなぐ英会話メルマガ by 山久瀬洋二』の著者である山久瀬洋二さんが解説する「compartment的発想法」です。
日本で働くあなたにとっては当たり前でも、そのビジネスの常識が覆されるかもしれません。
山久瀬 洋二によるニュース解説「compartment的発想法」
海外のメディアで報じられたニュースを解説します。日本のマスコミではあまり報じられない切り口で、本当はどういう意味で報じられているのかを私見を交えてお伝えします。
今週のテーマは、「知っておきたいcompartment的発想法」です。
<英文>海外ニュース

In psychology, compartmentalization is a defense mechanism where an individual mentally isolates conflicting thoughts, emotions, beliefs, or experiences into separate “compartments” to minimize internal tension, emotional distress, or cognitive dissonance.
source:ChatGPT
日本語訳
心理学において、コンパートメンタリゼーションとは、個人が抱く思考、感情、信念、または経験を精神的に「区画」に隔離し、緊張や苦痛、あるいは認知的な不協和を最小限に抑えようとする意識である。
メールで「CC」をつけると誤解される!?

仕事でアメリカを中心とした欧米にメールを送るとき、日本人が気をつけなければならない二つの流儀があります。
まず、「やたらとCCをつけない」ことです。できればCCをせずに相手に対してのみメールすることがおすすめです。というのも、そのやり方は、受け取った本人が信頼されていること、そしてそれは本人に解決してもらいたい案件だということを効果的に伝達できるからです。
日本流の情報共有の流儀で、たくさんの人にCCをつけて発信すると、重要な案件だと思われないばかりか、信頼されていないのではと相手に誤解されるリスクすらあるのです。
これは、メンツを重んじる中国などへのメールでもいえることです。CCをいれるときは、案件がうまくいかず、相手の上司も巻き込む必要性に迫られているときぐらいと思った方が無難です。
次に、メールでは一つの案件だけを書いて送ることが大切です。別件をついでに送りたいときは、その直後でも構わないので、別のメールにして送るべきなのです。
欧米の人は一つの案件は一つの案件というふうに整理して捉えることが習慣なので、いくつものことを一つのメールに混ぜると、それが箇条書きであっても重要性やプライオリティを見失うのです。
この発想を「compartment的発想」と名付けています。
海外で列車の一等車に乗ると、四人がけの個室に分かれていることがあります。この個室のことを「compartment(コンパートメント)」といいますが、欧米の人と交渉をするときは、この発想を常に持っておく必要があるのです。
過去・現在・未来は“個室化”して向き合う

今回、アメリカに出張した折に、ロサンゼルスで今春の火事で焼け出された友人を訪ね、夕食のあとに一家が支払われた保険で新たな生活をはじめたアパートに招待されました。彼らを訪ねる前に、テキサス州のダラスで彼らの息子とランチをして、両親の状況について事前に話を聞いた上での面会でした。
そのランチの席で、息子が「彼らは驚くほど元気なんだ。何十年もの思い出の家が灰になったというのにね。父親は特にcompartmentalize(コンパートメンタライズ)することが得意なんだなあ」と、語ってくれたことがとても印象に残りました。
つまり、彼の父親は、火事での被災を過去のこととして、現在から未来という別の「個室」に移動する才能に長けているという意味なのです。
実は、これが日本人の精神構造から欧米社会を見たとき、最も理解しにくく、かつ誤解を生み出す概念の一つなのです。
冒頭で触れたメールでのCCや、「一つの案件ずつ」というコミュニケーションスタイルも、このcompartmentalization(コンパートメンタリゼーション)、すなわち“個室化”という心理的なプロセスと無縁ではないのです。
アメリカ人はビジネス、地域のコミュニティー活動、教会での活動など、さまざまな活動で多彩な付き合いをしている人が多く、それぞれの活動を見事にコンパートメント化しているといわれます。
最近では日本人も仕事とプライベートをきっちりと分ける人が多くなりましたが、ひと昔前まではそうした境界線は曖昧で、今でも欧米社会ほどではありません。これは文化の違いなのです。
こうした彼らの生活面でのコンパートメント化を横軸とすれば、過去と現在、そして未来を一つ一つの個室に入れて思考する縦軸の習慣も見逃せません。
彼らは過去に何かがあったとしても、日本人とは違い、過去は過去で、現在と過去とを一つの流れで捉えません。したがって、仕事でも反省をすることに重きを置くよりも、今何をすべきかを語らないと、相手のモチベーションは上がらないのです。
同様に未来は未来で別のコンパートメントに入れながらも、そこにより魅力的な個室が見えない限り、物事が前に進みにくいのです。

これは、過去の反省や「振り返り」に重きを置く日本人とは真逆の発想です。ですから、プレゼンテーションやフィードバックをしながら、相手と仕事をしたり交渉をしたりするときも、この発想を忘れてはならないのです。
過去の過ちをまず検証し、謝罪するところは謝罪して次に進むという日本人の常識が裏切られ、相手に失望したり、相手からは時間を無駄にさせられたと思われたりするケースの多くは、このコンパートメントリゼーションという概念を理解できないことからくる異文化摩擦であるといえましょう。
仮に交渉ごとで、前に合意したことが守られないときは、そこに書いてある詳細を確認し合うと同時に、今後どうするかという発想で話し合い、過去と現在とを区切らない限り、相手はなかなか動いてくれません。謝ってほしいと思っても、そうはいかないのはこの発想の違いからくるのです。
もっといえば、謝って相手の足を踏めば、それは現在起きたこととして謝罪するのは当然で、アメリカ人であろうとも誰であろうともそれは当然のマナーです。
しかし、時間的に過去というコンパートメントに入っているものに対して謝罪を求めるには、相当洗練されたロジックによって説得する必要があるのです。
おそらく、このコンパートメントの発想は、宗教改革以来、神と個人とが直接結びつき、教会という共同体と切り離されたなかで数百年にわたって育まれてきた意識でしょう。個人主義という発想と無縁ではない意識なのです。
そして、プロテスタントと呼ばれる新教徒が、個々の勤勉さを良い価値として育み、来世のことは神の領域で別のコンパートメントの中のことと考えたことで、より合理的な科学的活動やビジネスに没頭できたのです。
これが、現代社会の産業構造を築きあげたイギリスやアメリカの本質的な価値観となったことで、欧米社会全体に大きな影響をもたらしたというわけです。
欧米との交渉術、コミュニケーション術を学ぶとき、単に英語の学習だけではなく、こうした異なる意識に対応するスキルを身につけることは、AIの時代といわれる現在でも最も大切な課題といえるのです。
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