これが日本の美女。古今東西「美人」と呼ばれた女性たちの変遷
明治の美人
明治時代の女性は現代人から見ても、ハッとするような美しさを持っています。明治時代はご存じのように西洋文化の影響を受け、服装も和服から洋服を着用し始めた時期ですね。
いままでは和服女性が多かったのですが、明治以降はモダンな雰囲気の女性が登場します。どこか古風な面影を残しながら、新たな時代へ歩きはじめた、その時代のトレンドをまとう美人といったところでしょうか。
そして明治の代表的な美人といえば、先述した政治家、外交官の陸奥宗光の妻、陸奥亮子です。
ハッとするような美しさ「陸奥亮子」(東京出身)
1888年、33歳ごろの写真ですが、大きな瞳に、シャープな顔の形。写真からでも気品が漂います。もし彼女がいま目の前に現れたら、男女問わずハッと立ち止まって息を飲むほどの美しさではないでしょうか。
そして彼女はその美しさだけではなく、聡明でもあったと有名です。「駐米日本公使館の華」と呼ばれ、海外からも評判だったそう。もともとは芸妓でしたが、のちに日本赤十字社社員として奉仕活動にも力をいれていたんだとか。
気品漂う「鍋島榮子」(京都出身)
京都出身の鍋島榮子は、侯爵の鍋島直大の妻。外交官夫人の草分けとして活躍し、「鹿鳴館の華」とも呼ばれたそうです。気品が漂い、エレガントな佇まいが素敵ですね。
日本一の美人として人気だった、芸妓の「萬龍」(茨城県鹿島郡東下村 出身)
萬龍は芸妓の人気投票「日本百美人」で9万票を得て第1位を獲得したツワモノ。三越のポスターにも登場するなど、明治末に大人気だった芸妓さんです。
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