実は謎多き食べ物。意外と知らない甘納豆の起源を調べてみた

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2017/04/12

日本の伝統的なお菓子の一つ「甘納豆」。豆と砂糖でつくるシンプルなお菓子ですが、素朴な味が人気で、大好物という方も多いでしょう。

では、その甘納豆はいつ、誰が作り出したお菓子か、あなたはご存知でしょうか?無料メルマガ『安曇野(あづみの)通信』の著者・UNCLE TELLさんが、甘納豆の歴史から、適した豆の種類まで詳しく教えてくれています。

謎多き食べ物「甘納豆」の歴史

わたしは甘納豆が大好き。

読者の方はどの豆の甘納豆がお好きだろうか。

ササゲ、エンドウマメ、ソラマメ、インゲンマメ、ベニバナインゲン(花豆)、ウズラマメ、金時豆、小豆など。最近ではラッカセイや黒大豆、黒豆なども甘納豆になっているようだ。ネットに出ていたところによれば、当初、小豆も 甘納豆にしずらかったらしい。

なお、ウィキペディアによれば、甘納豆は、豆類だけでなく、クリ、ハスの実、サツマイモの輪切り(芋納豆と呼ばれる)などを砂糖漬けにした和菓子全般を指すようだ。甘納豆、菓子としての人気は今後も衰えることはないだろう。

甘納豆、菓子としては、”豆”という素材を使った独特の雰囲気と味を持った伝統の菓子である。と言っても、かなり昔、江戸度時代の初期、中期からある菓子でもなさそうだ。

たいがいの本には、安政5年(1858年)日本橋の菓子店榮太郎楼が金時ささげを用いて納豆をつくり、浜納豆に似たところから甘納豆となづけて売りだしたとあり、これが甘納豆の創始ということになっているようだ。甘納豆の正史の部分だろう。

ところで檜山良昭という作家の小説・幕末架空戦史「黒船襲来」を読んでいて驚いた。なんと甘納豆の歴史、なりたちが出てきたのである。その小説「黒船襲来」によれば、甘納豆の発明者は下曽根金三郎という武士だったというのである。


下曽根金三郎は御家人の生まれで、江戸末期黒船来航のころ、幕府の東京湾沿岸警備隊ともいうべき部隊の鉄砲組先手組頭であった。発明工夫の才能があり、小銃の改良や射撃術の工夫に取り組むかたわら、甘党であったため菓子の製造にも凝り、甘納豆も発明したというのである。

静岡県浜松の名産に浜名納豆があり、これは、煮た大豆に小麦粉をまぶし、発酵させ、半年塩汁につけた後、天日で乾燥させ、しょうが・山椒・しそ・けしなどの香料を加えた納豆の一種。これにヒントを得て、大豆に砂糖をまぶした菓子を作り、浜名納豆をもじって甘納豆と命名した。

これが江戸で評判を取り、大いに売れた。貧乏御家人だった下曾根は、知り合いの菓子屋に甘納豆を作らせ、利益の一部をもらっていたから、甘納豆のおかげで暮らしが楽になったというのである。知り合いの菓子屋というのが栄太楼で、素材の豆が大豆からささげ金時になったのはいろいろ試行試作の成果か。

甘納豆のことを書いた本をあれこれ拾い読みしたが、下曽根金三郎のことに言及してあったのは檜山良昭の幕末架空戦史「黒船襲来」だけだった。この作家はいったいどこでこの情報を手に入れたのだろうか。前から作者に質問しようと思っていたがまだ果たしていない。

前回、甘納豆の誕生秘話で披露した通り、甘納豆は幕末に誕生した菓子なである。メールマガジン等書く際に、私のよく参考にする本、「たべもの日本史総覧」(新人物往来社刊・1992)によれば、幕末から明治にかけ創始されたたべものもけっこう多い。例えば...。

1850年頃くるみ餅、1851年寒天、1854年頃栗ぜんざい、1857年海苔の養殖、1858年佃煮売り出し、1860年日本最初のパン店開業。1866年南京豆初輸入。1868年すき焼き、ラムネ、1870年ぶどう酒試作販売。佃煮など、ええっと思うかしれないが、思ったより歴史が浅いものだとわかった。

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