魚津が荒れ狂う夜。「献灯みこし祭り」で八幡神社の悲しい歴史を知る
宵闇に躍動する神輿に秘められた悲しい物語
これは、毎年9月第3土曜日に富山県魚津市の魚津八幡宮で開催される「献灯みこし祭り」のクライマックスシーンだ。
秋祭りといえば豊穣を神に感謝するためというのが一般的だが、献灯みこし祭りは違う。江戸末期の文化12(1829)年、魚津町奉行の神社に対する理不尽な仕打ちに氏子たちが反発して「八幡騒動」が発生した。結果、入牢者67人、打ち首3人、さらに神社は廃滅という厳罰に処せられ、氏子たちの憤懣と悲嘆は熾火のごとく心の奥底に座を占めることになった。
そして半世紀近くを経て江戸から明治の世になるとようやく神社復活が認められ、八幡騒動の犠牲者の御霊を追悼して再開されたのが献灯みこし祭りだった。
夕刻から氏子12町内ごとの神輿12基が笛太鼓を鳴らしながら、地元町内のあちこちでご祝儀を頂戴しつつ練り歩くと、夜も更けた9時過ぎから次々に参道へと参集してくる。
観衆を焦らすようにしばらく参道や境内で留まり、最初の神輿は9時半を過ぎたころからおもむろに拝殿前へと移動する。男衆が一列に並んで宮司からお祓いを受けたのちに宮あげがスタートするのだ。
それとは別に氏子たちはこの日、自宅に親類や友人たちを招いて宴を張り、今年も「八幡(はちまん)さんの祭り」を無事に迎えられたことを、ともに深夜遅くまで祝う。
深夜0時をまわったころ、最後の12基目の神輿が宮あげを終えた。例年のごとく救急車が1台、サイレンをけたたましく鳴らして走り去った。酔った男衆のケンカか、はたまた宮あげ時に足でも取られてケガしたか。
サイレンの音が聞こえなくなると、遅い時間まで男衆や観客たちがさんざめいていた魚津八幡宮の境内にもようやく静寂が訪れた。
場所:魚津八幡宮
住所:富山県魚津市田地方町407