俺、東京に行くことになったけん。夢を追いかける大人の「上京物語」
30年間過ごした九州から東京へ
私の場合は、小学生のころから約30年間を九州で過ごし、仕事仲間、友人、親戚といった人間関係もそこにありました。
大好きなうどん屋も、私より私の身体を知っている病院も、何も分かっていないくせに尖っていた私をとてもかわいがってくれた先輩も、寒い冬の日に一生懸命自分の足で歩いてみつけて取引して初めてお金を稼いだ不動産も、大切なものをなくしてどうしようもなく辛いときに見に行った海も、恋人とデートした思い出の場所も全てそこにありました。
ですから東京に行くことを宣言した私を激励するために開かれた送別会は、実は私を東京に行かせないために開かれているのではないかと思ってしまうほどでした。
強い覚悟と輝かしい未来を見据えて上京することを決めたはずなのに、上京してからも、街中でたまたま聞こえてきた故郷の方言がきっかけで、ふと涙が流れそうになることがありました。
もしこれをお読みのあなたがこの春、東京へ引っ越してくるのであれば、きっとあなたなりの強い覚悟と輝かしい未来を見据えていることと思います。
私と同じように、東京への強い気持ちと同じくらい自分が生まれ育った地元への強い気持ちをおもちかもしれません。
あるいは、いまはそれほど地元への思い入れが強くないかもしれませんが、東京での生活が始まっていくにつれて「あんなに新鮮でおいしい野菜や魚が安く食べられていたのは、実はとても特別なことだったのだ」と気づかされることがあるかもしれません。
そんなほんのささいなことがきっかけで、ふと後ろを振り返るときがきたら、「東京駅」を訪れてみてください。なぜならそこには上京者の心を癒し、そして奮い立たせるいくつかの見どころがあるからです。
東京駅とはご存じの通り、日本の首都・東京の玄関口となっている鉄道の駅です。日本全国から多くの人がここを目指してやって来ます。そしてまた、多くの人がここから全国へと立っていく、まさに日本の中心の中心といっても過言ではないでしょう。
東京駅は1914(大正3)年12月20日に竣工した3階建ての建物です。1914年といえばちょうど第一次世界大戦が勃発した年です。
設計は辰野金吾(たつのきんご)氏。1945(昭和20)年には戦争により当時の駅舎は焼失してしまいましたが、2007年から約5年という月日をかけて復元工事が行われ、元の姿を取り戻すことになりました。
偉人の決意がたっぷりつまった「ドームレリーフ」
東京に来たことがないかたでも、写真などでレンガ調のオシャレな駅舎を見たことはありませんか。実は単なるオシャレな建物だけではないのです。
東京駅には、私たちと同じように地方出身で「東京で頑張るぞ」という決意をもって上京し、実際にその名を挙げた先輩からの大きな励ましのメッセージが刻まれているのです。
東京駅の丸の内側にある丸の内北口、丸の内南口の両出口は大きなドーム状の建物。それぞれの改札を出たところで上を見上げると、8角形の天井があり、それぞれの角には干支のレリーフが8個埋め込まれています。
そして要石(かなめいし)とも呼ばれる「キーストーン」(= 周囲の建材が崩れないように締め付けるためのもの。これがなければ全体が崩壊する)は、豊臣秀吉の馬藺後立兜(ばりんうしろだてかぶと)のレリーフです。
ご存じのように干支は12種類です。しかし東西南北をそれぞれ表す「卯」「午」「酉」「子」が存在せず、8種類になっています。
またキーストーンも、別に馬藺後立兜でなくてもよいはず。しかし東京駅ではそうなっています。これは一体なぜでしょうか。それを知る手掛かりは東京駅の設計者・辰野金吾(たつの きんご)氏の生い立ちに隠されていました。