俺、東京に行くことになったけん。夢を追いかける大人の「上京物語」

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2020/04/11

設計者・辰野金吾の故郷と東京駅とは?

馬藺後立兜image by:徳永秀一郎

辰野金吾氏は1854年に佐賀県で生まれました。若干14歳で鉄砲隊に入り、15歳で叔父の養子になるなど、若いころから波乱万丈です。

16歳で「これからは英語が必要な時代になる」と英語の勉強を開始。そして18歳で東京へ出てくることになります。東京では外国人教師のボーイをしながら英語の勉強を続け、21歳で建築を学び始めます。その勉強熱心さは周りを驚かせるほどでした。

「学業の成績は去年より今年というように、進歩の著しいのは朋友の意外とするほどだった」

「東京における当時の(辰野金吾)博士は知人と称すべきものほとんどなく、ただ学友なる三人に交友があるばかりであった」

白鳥省吾著『工学博士辰野金吾伝』より引用

白鳥省吾著の『工学博士辰野金吾伝』に人物評が示されている通り、熱心に自分のなすべきことに打ち込み、1880年にはイギリスへ、そして1882年にはフランス・イタリアへ建築を学ぶ旅に招待されることになります。まさに地方から東京へ、そして東京から世界へ羽ばたくこととなったのです。

そして海外の素晴らしい建築を学んで帰国し、この東京駅や、日本銀行といった現代にも「宝」として残る建築物を次々と生み出し、故郷に錦を飾ることとなりました。

武雄温泉楼門image by:photoAC

故郷に錦を飾るということでいえばもうひとつ、12支のなかの、丸の内駅舎にいない4支「卯」「午」「酉」「子」ですが、佐賀県、つまり辰野金吾氏の故郷にある、彼の設計した武雄温泉楼門にその姿を見ることができます。

諸説あり「辰野氏の遊び心だろう」などといわれていますが、個人的にはまさに上京者である辰野金吾という男が故郷に錦を飾った瞬間だったのだろうと思うのです。

豊臣秀吉の生い立ちも関係していた

image by:English: Kano Mitsunobu 日本語: 狩野光信 / Public domain

一方、キーストーンのモチーフである馬藺後立兜(ばりんうしろだてかぶと)は一体何を表しているのでしょうか。そのヒントは馬藺後立兜の主である豊臣秀吉の生い立ちにあります。

1573年に愛知県で誕生した豊臣秀吉は、出自について諸説あるようですが、一般的には農民出身であったといわれている人物です。

豊臣秀吉も若いころ「成功者になりたい」と立身出世を夢見て、当時の支配者であった織田家に仕え、毎日一生懸命努力して頭と体を働かせ、得た知恵と人のご縁に恵まれて一大天下人となり歴史に名を残しました。


東京駅を設計した辰野金吾氏自身も、叔父の家に養子に出され、14歳から働きながら勉強を重ねるという生い立ちから、知恵とご縁をつかみ、ついに日本の中心である東京駅の設計を担当することとなりました。

このように同じように地方から東京へやってきて、これから東京で勉強や仕事に励む人が、豊臣秀吉のように毎日一生懸命努力して頭と体を働かせ立身出世していってほしいという願いを込めて、馬藺後立兜をこの東京駅駅舎のキーストーンに採用したことは想像に難くありません。

私たちの誰もが、勉強や仕事を通して成し遂げたい目標ができると、そこには必ず「乗り越えなければならない壁」が登場します。

そしてその壁を乗り越えるためには新しい知識を身につけたり、色々なタイプの人とうまくやっていくスキルを身につけたり、自分自身がもっと勤勉であるように考え方を大きく変えて自分を成長させたりする必要が出てくることでしょう。

怠惰で頑固だった私の場合は、東京に来たいという目標を立てたときに、これらの全ての壁を越えなければなりませんでした。

私は辰野金吾氏のように養子に出されて若いころから働きながら勉強をするといった環境で育ったわけではありません。また恥ずかしながら、勉強の重要性に気づいたのは大人になってからでした。

さらに豊臣秀吉のように、織田信長のような稀代の天才といわれる大物(大物といわれる人はいつの世も大抵気難しいものです)からの信頼を得る技術があったわけでもありませんでした。むしろ自分と波長が合う人たちという狭い範囲でしか仲良くできないタイプでした。

ですからまさに東京へ来るために、新しい知識を身につけ、自分自身が必ずしも得意ではないタイプの人ともうまくやっていくスキルを身につけて人のご縁を大切にし、すぐに怠けようとする自分自身に鞭を打つ必要がありました。

そして東京にやってくるという目標を達成してからは、新たな目標に向けて、また新たな壁を乗り越えなければならないと感じている最中です。

うまくいかないときには「あのまま地元にいれば良かったのかも」などと、つい弱気になることもしばしばです。しかし、そんなときにはここへ来て、東京へ来るために乗り越えた壁とそれを乗り越えたやり方を思い出します。

そしてそれは自分だけではなくこの東京駅を設計した辰野金吾氏を始め、地方出身の多くの先人たちが乗り越えてきた壁であることを思い出すようにしています。

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