モテる理由は顔じゃない。古今東西「イケメン」と呼ばれた男性たちの変遷

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2020/04/04

当時はめずらしい留学経験者も多数。明治時代のイケメン

江戸時代〜幕末に続き、明治時代でも活躍していた人たちをご紹介していきます。明治時代に入ると当時は珍しい海外留学を経験したイケメンたちがたくさんいました。グローバル社会のパイオニアだったのかもしれませんね。

山岡鉄舟(1836年-1888年)

image by:Unknown author / Public domain

幕末から明治時代に活躍した幕臣であり政治家でもある、山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)。「一刀正伝無刀流」いわゆる無刀流を開祖した人物としても知られています。

当時の人とは並外れた体格をしており、身長は約188cm、体重は約105kgと大変大柄な体格だったそう。

吉田清成(1845年-1891年)

image by:Unknown author / Public domain

幕末の薩摩藩士で明治時代初期には官僚を務めた吉田清成(よしだ きよなり)。イギリスやアメリカへの留学経験を持ち、外交官として活躍します。まさにグローバルに活躍イケメンだったのですね。

奥平昌邁(1855年-1884年)

image by:フェリックス・ベアト(Felix Beato)[1] / Public domain

豊前中津藩の最後(第9代)の藩主、奥平昌邁(おくだいら まさゆき)も美男子として知られています。伊予宇和島藩主である伊達宗城の四男として生まれ、豊前中津藩第8代目藩主である奥平昌服の養子に。

その後、廃藩置県後は伯爵の称号を受け、アメリカへ留学を経験。若くして亡くなってしまいますが、写真を見るだけで美男子とわかる佇まいですね。

南方熊楠(1867年-1941年)

image by:Wikimedia Commons / Public domain

日本の偉大な博物学者、南方熊楠(みなかた くまぐす)もとても整った顔の持ち主です。熊楠は顔がいいだけでなく、なんと19カ国の言語を話せるマルチリンガル

東京大学の予備門へ入学し、19歳で渡米してミシガン州農業学校に入学しました。しかし天才ゆえに性格も少々変わり者だったよう。

猫好きとしても有名で、のちの奥さんと会う口実として、汚れた猫を連れて行ってはその度洗ってもらっていたのだとか。


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