かつて嫌われていた日本人。村上春樹が見たアメリカは、いまどう変わったのか
インテリが見下した「国産ビール」
アメリカのインテリは、国産ビールを大衆的であるとして見下し、輸入ビールを飲むように心がける。そんなエピソードが「哀外語」に書かれています。
「バド・ドライ」を好んだ村上さんは、肩身が狭い思いをしていたそうです。現在でもその傾向は残っているかもしれません。
しかし、ビールに限ると、アメリカの社会はこの30年で大きく様変わりしました。
「哀外語」ではシックな土地柄で評価されていると書かれたボストンの「サミュエル・アダムズ」と、サンフランシスコの「アンカー・スチーム」が全国的なシェアを飛躍的に伸ばしただけではなく、いまでは地域ごとのクラフトビールがむしろビール売り場の主流になっているのです。
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テロに屈しない「ボストン・マラソン」
村上さんが熱心なランナーであることは有名ですが、とくにボストン滞在中は、地元ランナーとして「ボストン・マラソン」を走ったことが、「哀外語」にも「うず猫」にも書かれています。
コースの途中にあるウェルズリー大学では、女子大生がずらりと並び、あらんかぎりの大声でランナーを応援するのが伝統だ、ということで、村上さんが今年ウェルズリー大学からの招待を受けたことの理由のひとつにそのときの感謝の意味が込められているのだそうです。
日本同様、アメリカでも健康志向の高まりに伴ってランナー人口は増え続けています。
ボストン・マラソンはそのなかでもアメリカで最も人気の高い、そして権威のあるマラソン大会として現在も存続しています。
その代わり、ボストン・マラソンの参加基準は年々厳しくなっているのです。1990年には3時間10分だった一般男子の資格タイムが2013年には3時間5分、2020年には3時間ジャストになりました。
しかも資格をクリアしても人数超過のために足切りとなるケースが増え、2021年には9,215人の有資格ランナーがこの伝統あるレースを走ることができませんでした。「狭き門」と呼んで差し支えないでしょう。
ボストン・マラソンといえば、2013年に起きた爆弾テロ事件は衝撃的な出来事でした。
もちろん、2001年9月11日の同時多発テロ事件に比べると犠牲者の数はずっと少ないのですが、アメリカという社会がいかに理不尽な暴力と隣り合わせにあることをあらためて思い知らされた事件でした。
それでもボストン・マラソンは事件の翌年も例年通り開催されました。「Boston Strong」をスローガンに掲げて、人々がテロに屈しない姿勢を力強く示したのです。
トリーティッド・ライク・ロドニー・キング
「哀外語」で個人的に最も強い印象を受けた一節は、黒人のリムジン運転手が呟いた「この国では俺たちはみんなほんとうに犬のように扱われるんだよ、オー・ヤー」です。
俺たちというのが黒人のことを指すのは明らかです。そして黒人に限らず少数人種への差別は、このころよりずっと以前から存在し、そして30年以上経ったいまでもアメリカ社会を蝕む問題であり続けています。
「LAに行こう。君はきっとロドニー・キングのように扱われる」と書かれたTシャツを村上さんは見かけたそうです。
1991年にロサンゼルスで複数の白人警官からロドニー・キングさんが集団暴行を受けた事件は、翌年の「ロサンゼルス暴動」を引き起こしました。
2020年にはミネアポリスでジョージ・フロイドさんが、やはり白人の警官に殺害された事件がブラック・ライブズ・マター(Black Lives Matter、略称「BLM」)運動を引き起こしたことは記憶に新しいでしょう。
30年が過ぎても、運転手のおじさんが嘆いた状況は、アメリカで変わっていないようです。