トウゴウ、ミカド…日本由来の「地名」が世界各地に残されている理由
日露戦争が生んだカナダの地名
台湾とは異なり、距離的に離れた場所でも、日本由来の地名は見つかります。例えば、カナダのサスカチュワン州の話。
「サスカチュワン州ってどこ?」という感じかもしれませんが、世界有数の農業地帯が広がるカナダ中部の州で、小麦、大麦、ライ麦などの農産物、ウマ、ウシ、ヒツジなどの牧畜業、森と湖の豊かな風景などで知られています。
知名度の高い都市との位置関係で言えば、エドモントンやカルガリーなどのあるアルバータ州の東隣、イエローナイフなどのあるノースウェスト準州の南東といった場所になります。
そのサスカチュワン州には、ミカド(Mikado)、トウゴウ(Togo)、クロキ(Kuroki)という集落があります。サスカチュワン州の境界線は縦長の長方形をしていて、いずれの集落も州内の南東に位置します。
例えば、カナダの国勢調査によると、2021(令和3)年の時点でミカドの人口は40人。航空写真を見ると、大草原にある小さな村といった感じです。
どうして、このような土地の名前が日本風の名前になっているのでしょうか。答えを先に言えば、日露戦争が影響を与えています。
トウゴウ集落の公式サイトを見ると、この集落の名前はもともと「ペリーサイディング」だったそう。しかし、日露戦争で日本軍が勝利すると、日露戦争における連合艦隊司令長官であり、バルチック艦隊を破った東郷平八郎(元・薩摩藩藩士)の名前にちなんで、戦後の1906(明治39)年にトウゴウに改名されたのだとか。
クロキについても、陸軍の師団長・司令官として日清戦争・日露戦争で戦った、元薩摩藩藩士の黒木為楨(ためもと)が由来となっています。ミカドについては、日露戦争に勝利した日本の明治天皇をもちろん意味しています。
さらに言えば、サスカチュワン州には、オヤマ(Oyama)という公園もあります。このオヤマは、日露戦争の時に満州軍総司令官だった大山巌の名前が由来となっています。西郷隆盛のいとこですね。
当時、日英同盟に基づき、英連邦制内では日本を応援するムードがあったそう。日露戦争の勝利は、遠い外国の内陸にある集落の名前まで変えさせてしまうほどインパクトを与えたみたいですね。
ちなみに、トウゴウから南西方向に8km道を走り、州境を越えたマニトバ州内には、マカロフという集落があります。
こちらは、日露戦争開戦の際に、太平洋艦隊司令長官を務め、旅順港外で戦死したロシアの提督の名前です。日露戦争における日本海海戦で戦った両軍のトップを称える意図があるそうです。