「移住計画」の発起人が大切にする、住んでる僕がまちを好きになること
田村さんが京都移住計画をはじめたきっかけ
今や各地から「○○移住計画」という活動を聞くようになりましたが、一番はじめにできたのが京都移住計画。なぜ、京都移住計画が生まれたのか?田村さんが移住を見つめはじめたきっかけを話してくれました。
東京で働いていた頃、シェアハウスも運営していた田村さん。その界隈のコミュニティには関西出身者が多くいました。田村さんは地元京都への愛着から、5年経ったら京都へ帰ろうとはじめから決めていました。2011年3月11日、関東大震災が起きました。震災以降、田村さんの周囲では、「ずっと東京にいるの?」という会話をする機会が増えていきました。この質問に対して「いつか地元に戻りたい」と返答する友人は少なくなかったといいます。
でも、その「いつか」っていつくるんだろう? 本当にその「いつか」はやってくるんだろうか? そんな思いが、当時の田村さんの頭によぎりました。東京では情報やひとが激しく溢れんばかりに行き交っていて、うごめくブラックホールのような引力を持っています。「いつか」と願いつつも東京を離れることの不安感から、その想いが日々に埋もれてしまう可能性だって低くありません。
だからこそ「皆のいつかのために、今自分のできることをしよう」と、東京の友人たちの想いに追い風を送るような気持ちで、移住について情報発信をしはじめたのが、全てのきっかけでした。
「移住」を見つめるうえで、大事にしていること
京都移住計画を進める中で田村さんが大事にしているのは、ひととひとの繋がりです。いざ帰りたい・住んでみたいと思った時に「あのひとたちが居るなら」と思い浮かぶ顔があることがどれほど心強いことか。そこで、オンライン上での情報発信や実際のイベントを介して、移住検討者と移住者が繋がる機会を設け、移住先のコミュニティの受け皿をつくったり、先に移住を経験したロールモデルとの接点を生み出したりしているのです。
また、田村さんと東さんが共通して話してくださったポイントは「その町に住んでいるひとたちが、自分の町を好きであること」ということでした。
その地域に住む人々がその地域を愛していれば、その様子に惹かれてひとはやってくるもの。お二人が共通してお話くださったのは、まず自分の幸せから出発することであり、その幸せは誰かの幸せに繋がっていくということです。
そのためには、はじめの一歩として、自分の暮らす町のことをよく知っておく必要があります。そして、自分にとっての「ここが好き!」を積極的に外へ発信したり「もっとこうなったらいいなあ!」を少しずつ実現していくことで、きっと誰かの新たな一歩へと繋がっていくものなのだと教えてくれました。
「いきなり『移住しよう!』というのはハードルが高いもの。だからまず、地方に縁のあるひとで集まる交流会を都心で開催してみたり、地元の良いところをSNSに書いてみたり、そうやって今居る場所で出来ることからはじめてみることが大切なんだと思っています」と田村さん。