限界集落に飛び込み移住した男が作った「大人の秘密基地」
今から約9年前、東京の生活に疲れた男が家族を連れ立って大胆な移住計画を実行しました。人口わずか94人の限界集落の地に人口以上のイベント参加者を呼び寄せた彼は、今では三重県の有名人! そんな彼の素顔を、移住で見つける「私らしさ」発見マガジン「地域移住計画」からお届けします。
ええ年こいた大人が、秘密基地を作って、全力で遊ぶことができるのが、田舎の良いとこです。
2006年3月、映画の配給やDVD販売の会社を経営していた一人の男性が、過疎の村への移住を決断します。
「早く東京から抜け出したい」
高校卒業と同時に、映画の世界を志し上京、ドラマの脚本等を制作する放送作家として活躍し、自身が立ち上げた会社も軌道に乗ってきた頃でした。
上京してから20年あまり、がむしゃらに頑張ってきて、結果も出してきた。
だけれども「早く東京から抜け出したい」。
この想いは日に日に強くなっていました。
キャンピングカーを購入し、週末は家族でキャンプをしながら田舎の移住候補地を見学するようになり、最終的に出会ったのが、三重県の山間にある美里という地区の古民家でした。
家族全員、一目惚れで衝動買い、ここへの段階的移住を計画することになります。
「当初2年間は、東京と三重の2拠点居住の生活でした。地域のコミュニティに徐々に溶け込むための時間を確保し、リスクヘッジをするためでもありました」。
美里は、市町村合併で、現在は津市に編入されていますが、緑の生い茂る山々と、夏はいつでも泳げるきれいな川と、豊かな作物がとれる田畑が広がる、典型的な田舎の村です。
奥田裕久さん(49歳)は、三重県民であれば誰もが知っている有名人。
三重県美里のまちおこし軍団「NPO法人サルシカ」の隊長として、コミュニティ活性化や、移住者促進、三重の魅力をPRする活動を行っています。
また、現在は地元のローカルテレビ局「三重テレビ」の、コメンテーター兼放送作家として、県内各地を飛び回り、体当たりで三重の魅力を伝える仕事もしています。
彼こそ、9年前に家族とともに、東京から三重への移住を果たし、美里の古民家での田舎暮らしをはじめた人物です。
「移住当初は、まき割りをしながら、とにかくのんびり過ごしました」。
しかし、田舎の過疎の実情を見るにつれ、徐々に危機感がわいてきます。
「まもなく、この地域の小学校3つが廃校になり、中学校に統合されます」。
「今、私が住んでいる集落の人口は94人、果たして娘が大人になるまで、この集落を維持することができるのか」。
そこで奥田さんは、三重への移住者促進をはかるため、自身の体験を元にした、田舎暮らしのリアルな楽しさを伝えるWEBサイト「サルシカ」を立ち上げます。
「少年の心をもった『おっさん』が、全力で田舎で遊ぶ姿を伝えるサイトです」。ツリーハウス作りや、イカダレース、自作の土窯でピザを焼く等、楽しい田舎暮らしの日々を公開しています。(サルシカ 新しいスタイルの田舎暮らし)
サルシカは見て楽しむだけのサイトではなく、参加することができる場所でもあります。サルシカの活動に興味を持った人は、イベントに参加し、サルシカ隊員になることができます。
そして今や隊員数500名を超えるそのマンパワーを活かし、全てメンバーの手作りによって築かれたのが「サルシカ秘密基地」です。
「田舎暮らしの鉄則は買わずに待つこと、このトレーラーハウスも、テーブルも、椅子もすべていただいたものです」。
サルシカ秘密基地でのイベント開催時には、この人口94名の限界集落に、100名以上の人が訪れます。
サルシカが、地域で借りている田畑を活用した、イベントも多く行われています。田植え体験や、その収穫祭り、茶摘み体験と紅茶づくり、畑で採れたトマトをソースにしたピザづくりイベント等々、参加すれば間違いなく、田舎を味わい楽しみ尽くすことができます。
「月に1度は集落の人たちが交流するための、コミュニティカフェ・イベントも開催しています。孤立しがちなお年寄りの見回りを兼ねての目的もあります」。
地域の人たちに寄り添った、地道な活動こそ大切にする奥田さんの考え方には、とても共感します。移住を促進するにも、まずは中の人たちが元気に楽しく過ごしていることが、何よりも大切な事なのでしょう。
「田舎でも、やればできるということを形にし、見せていきたい。いえ、田舎だかこそ、やれることがあるのだと思います」。やはり、いま地方が熱いです。